年を取るとお金のありがたさが分かりますが、同時に、お金では買えないしあわせも教えてくれます。これは、私のおばさん夫婦の話です。
今から20年位前に、私は母と一緒に母の姉に当たるおばさんの家にいきました。郊外電車で50分、そこからバスに乗り換えて15分、さらに歩いて10分ほどのアパートでした。当時のおばさんの年齢は70歳、二つ年上のおじさんと2人で、1DKの集合アパートの1階に住んでいましたが、隣の家を仕切る壁はベニヤ板一枚で、夜になれば隣の家のいびきが聞こえるような家なのです。
それでも、おばさん夫婦はわれわれを笑顔で迎えてくれ、お土産の果物とお饅頭を、とても美味しそうに食べてくれました。
1時間ほど話し込んだ時に、おじさんが古い箪笥の奥から、ピカピカに磨かれたフルートを取り出してきて、
「ねえ、ねえ、ユーさん。このフルートはね」と自慢話を始めました。
「僕はね、フルート奏者の何とかさん(名前は忘れましたが)が、日本で演奏したときに手伝ったことがあり、その縁で彼から貰ったもので、ニューヨークのカーネギー・ホールでの演奏会の折、ぜひ来てくれといわれているんだよ。カーネギー・ホールで彼の演奏を聞くのが楽しみでね」と。
「それはすばらしいですね」と答えたものの、真偽を図りかねて、おばさんのほうに目をやると、「また始まった」という顔をしていましたが、一方で何とか実現させてやりたいという気持ちも読み取れます。
なにしろこのおじさんは、ぐーたらで、はったりやで、女に目がなく、借金は踏み倒し、仕事は長続きしません。おばさんは、そんな亭主でも文句もいわず、小学校の給食係として働き、遊んでいる亭主に代わって生活を支えていたのです。
この後、おじさんは自慢のフルートで演奏してくれましたが、音楽に興味のない私には、ただうまいと思うだけでした。とはいっても、親戚からはそっぽを向かれ、どう見ても不幸としか見えないこの夫婦でも夢があり、その夢を追っているときは、幸せなんだなと思わずにはいられません。
おじさんは、それから4~5年ほどで他界し、おばさんも、おじさんの後を追うようにこの世を去りました。どうやら、おじさんの夢は実現しなかったようでした。
それにつけても、しあわせってなんだっけと思うにつけ、夢を追っているおばさん夫婦のあの時の顔が忘れられません。