日曜日は大河ドラマ「真田丸」の日。私は毎週録画して見てます。 戦国乱世は数多くの英雄豪傑が活躍した時代。 その中でも比較的マイナーではありますが、魅力的な武将も沢山いるので紹介していこうという不定期企画。
その第2回目は「夜討ちの大将」として名を馳せた塙団右衛門(ばんだんえもん)です。
塙団右衛門は巨漢で腕っぷしの強い豪傑だったのですが、酒癖が悪く信長、秀吉、加藤嘉明と次々に仕えた主君に見放されて、転々としました。
それから禅僧「鉄牛」と名乗って諸国を流浪。 その噂を聞いた大名たちに召し抱えられたこともありましたが、やっぱり長続きしませんでした。
水戸城下の愛宕明神にいた時の事。 神社にお参りするのに普通は除災徐難などを祈願するものですが、団右衛門はというと
「何とぞ悪事災難の場へお引き合わせたまわりたい」と祈ったそうです。
周りにいた人から「なんですか、それは」と尋ねられると団右衛門曰く
「自分はとても畳の上での奉公では、立身はおぼつかない。今は浪々の身であるから、せめて悪事災難の場で、わが力を存分に試したいのです」 と答えたそうです。
まもなく大坂の陣が始まると大阪方に参加。
「東方は人数が多すぎる。西方は良将が少ないから、おれのような者でも一隊の大将になれるだろう」との判断。
思惑は的中し、大阪冬の陣では「本町橋の夜討ち」で名をあげました。100人以上の首を取ったそうです。でもこれは滅びゆく豊臣方の最後のあだ花の一つにすぎませんでした。
最後の大坂冬の陣。団右衛門はかねてから仲の悪かった岡部大学と激しい先陣争い。
功を焦った団右衛門の一隊は突出してしまって大混戦。 乱戦の中、弓矢を額に受けて落馬したところを八木新左衛門という武将に討ち取られてしまったそうです。
塙団右衛門は酒乱の奇傑ではありましたが、並外れた人の善さのせいか陣没後も人気が高く、その活躍は軍記物や講談で後世に語り継がれたのでありました。