年始に、ネットで映画、「必殺剣、鳥刺し」と「アース」を見る。
「必殺剣、鳥刺し」は、ある藩の、藩主の警護役の男の物語である。今で言えば、大企業の社長室勤務、警護役といった処だ。その藩では、側室の贅沢を何でも聞いている殿に、藩士達は快く思わなかった。ある能舞台の日に、主人公は側室を殺してしまう。その事件の裁断は、禄高の減と1年の閉所であった。
1年後、主人公は再び、殿の警護役を仰せつかる。その間、領民は年貢で苦しむ。そしてある男が、殿を諫めるために、長刀を携えて殿に会おうとする。そこで主人公はその男と短刀で戦い、その男を殺してしまう。
その時、家老が出てきて、「この男は乱心して、あの男を殺した、者ども、この男を殺せ」と命令する。ここで、主人公は一切を理解する。あの時、打ち首にならなかったのは、実はこの様な時のために、生かされていただけだと。自分は只の消耗品扱いだった。そして、刀で戦いながら、傷つきながら、最期には家老を殺し果てる。
藤沢修平の小説の映画である。藩の為、領民の為と行動した男の理不尽な、しうちである。これは、現代のサラリーマンの生き方に通じる。例えれば、会社の不祥事をそのままにしておくか、生活のため黙って見ぬふりをして生きるか。あるいは、我慢してそのまま生きるか。或いは、内部告発して株主のために行動するかとなる。昨年の、東芝の不祥事がこれに重なる。
考えるに、これは東芝だけでは、無いだろう。今でも取締役は、会社は株主のものという考えが浅いのでは。その結果、損をして迷惑するのは株主であり、従業員であり、社会である。会社の経営者は、会社は株主のものであるという意識を今後強く持たなければならない時に来ている。もう、甘ったれた経営は許されない。
藤沢修平に出て来る主人公は、例えば「蝉しぐれ」でもそうであるが、剣の達人である。父が切腹する寸前に、父は主人公に「剣術に励め」と一言伝える、それは、その後の主人公の命を救うことになる。
それでは、これは剣ではないが、株式投資ではどうであろうか。剣で、「居合い抜き」というのが有る。剣を抜いた瞬間に敵を倒す剣法である。今良い銘柄がある。しかしそれは今だけであり、1年後は悪い銘柄になる。今悪い銘柄がある。しかしそれは、今であり、1年後には良い銘柄になる。この様に、時とタイミングである。良い悪いはその時の判断である。
筆者の昨年を、振り返ると7月以降、パッとしなかった。[JUKI]と「蛇の目ミシン」がそうである。しかし、時で考えれば、この様な銘柄は良い時が来ると思う。ただ、その時は分からない。長期での底値を探っている。
そして、今年は3月頃までに、波乱があると思う。その時まで、待つ。先程の「居合い抜き」が頭に浮かぶ。