本来は阿弥陀如来のお力により生かされている、というような宗教上の言葉なのだが、現代用語では違う意味に使われている。
それがまた日本人の特性にぴったりくるときたもんだ。
さらには、単に他人に頼る、という以上に、「それは自分ではない誰かがするもんだ」くらい図々しいことが多いのだ。
日本の民主主義しかり、株式市場しかり。
主体性がない。
で、今日は公約通りに売りましたんか?^^;>う、うどんさん、
あんまりりす栗さんを追い詰めないで。
売ったにきまってるじゃないですか。
ほらあの貝を。
で、一回目売った時はよかったけど、二回目又手を出してしもうた。
すると、今度は売るに売れず。
持越し。・・・じゃないのかな。
爺ちゃんもりす栗神さまが頼りです。
で、今日は公約通りに売りましたんか?^^;
「他力本願」>いつもりす栗さんに頼ってばかりですみません。
でも、一番頼れるんです。
神様、仏様、りす栗様。
月曜日が楽しみですよね。
神の御威光がありあすように・・・