ほんま そうかいさんのブログ
平成相場三昧伝 青春の後悔regret
いや、まぁ四十代は、仕事に熱中しており(ワーカ・ホリックでした。わたしなりにそれなりに。)、あんまり追憶に耽るといったことは、少なかった。でも今、母の介護で離職して(いはゆる、おひとりさま介護)、時間的に恵まれるやふになったれば、つひつひ魂ひも、眠りまする。
追憶に耽ってゐる自分に気付きまする。それも二十代のおもいで多し。不思議。もふ三十年以上たっているのだから、ことの因果は、たふに終っておりまする。
この手の、いはゆる心理的記憶は、はなはだ妖し。
区分してみると。
一番目として、例ゑて言ふと、「お昼に寿司を食べたなら、ラーメンをたべられなかった自分を悔やむ」愚かしい?この手の追憶も随分している。後悔の正體は、慾望なのである。煩悩なり。
二番目は、「ひとを傷つけたり、人に迷惑をかけたりした後悔」。こればっかりは、正當な後悔かも。若い衆に、少しぐらひ迷惑をかけられても、「いいってことよ」。教訓には、なりまする。
でも、これがバッタリなひ人も、たまにゐるよな。いまに、さふ遠からず、痛ひ目にあふだらう。
三番目、「比較」。青春時代は、やはり世間的な知恵も比較すれば、そりゃぁ、いまよりなひ。
當然、失敗多し。「ああすればよかった。かふすればよかった。」なにおいまさら。
そのほか番外編として、「ヒットラーの後悔」。朝、愛人のエヴァ・ブラウンの愛猫を踏んづけたアドルフ・ヒットラーが、一日中それを悔やんでゐる。バカバカしひ?しかし、やっぱり、している。ハッと気づけば、白昼夢の如き、後悔。
大體に於いて、ひとの人體は、脳細胞からまつ毛まで、三か月ぐらひで、入れ替わるらしひ。
すなはち、三か月前の僕は、もふゐない。これが現實である。
最近、僕に取り憑いてゐるオブセッション。すなはち後悔は、成り立たなひ。
◎投資状況・・・株・ETFは、ノー・ポジション。FXは、豪ドル、NZD,トルコリラのショート・ポジションを2万通貨ほど持ち、数千円の含み益。 本日これまで。Time up.
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