いそりんさんのブログ
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6年ぶりに踏み入った平和公園の敷地
ユネスコの世界文化遺産に登録された名所が広島県には二ヶ所あり、平安時代末期(1168年 仁安3年)に平家の武将平清盛が修造した社殿群、厳島神社(広島県 廿日市市 1996年12月 登録)と、世界遺産条約内で定かな定義はないが、『ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)の象徴、アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所(ポーランド)』同様に『負の世界遺産』と呼ばれ、『人類史上初めて使用された大量殺戮兵器の惨禍を現代に伝え、平和を願うシンボルでもある原爆ドーム(広島県 中区1996年12月 登録)』
広島平和記念式典が閉幕し、数時間経過した午後(14時半頃)に到着した平和公園だが、麻生太郎副総理(当時首相)の見物を目的に広島平和記念式典に参列した2009年以来、6年ぶりに踏み入った平和公園の敷地
『今思うと慙愧に堪えない思い(2009年の平和記念式典参列目的)』だが、今回は太平洋戦争が勃発した原因と、敗色濃厚だった日本に対しトルーマン大統領は、『原案(ポツダム宣言)にあった天皇制の存続を許容する文言の削除し、ポツダム宣言を受諾させない方向で計画的に全文を発表(鈴木勘太郎首相のポツダム宣言黙殺)』し、『その前(ポツダム宣言)に下した原爆投下命令は、ソ連(ロシア)への威嚇と原爆の威力の検証を目的した広島・長崎への原爆投下』
http://sp.mainichi.jp/feature/afterwar70/chronology/pacificwar.html
そして何よりも、『原爆投下後に開設されたABCC(原爆傷害調査委員会)は、被爆された方々に対して治療を一切行わず、傷害サンプルの採取のみの調査活動だけだったのか?』など、少しでも全貌が理解できればと思い、平和公園に来場したのだが・・・
6年前(2009年)は、平和記念式典閉幕後に被爆を体験された方々が語りかけて下さり、ご自身の体験談を中心に、ご家族やご友人の被害についても直接伺い、体験談の終了後には『話を聞いてくれてありがとう』と言われ、返答に窮した記憶がある
今年は碑巡り最中に供覧されていた写真に見入り、昭和恐慌(1930年~1931年に日本を襲った恐慌)から順を追い、『本土上陸を遅らせるために沖縄を犠牲(捨石作戦)し、日本で唯一の地上戦と呼ばれた沖縄戦(兵力 日本10万人 アメリカ55万人)』、ABCC(原爆傷害調査委員会)の調査活動など、戦前戦後が齎した惨禍は居た堪れなく、言葉を失ってしまった
意想外だったのは、平和公園来場者に幼児連れの母親も多く、憶測にはなるが、安全保障関連(集団的自衛権)の問題もあり、関心が高かったのかもしれない(幼児連れの母親が来場する動機について興味があったが・・・)
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