私の実父は人でなしと言われたことがある

私の実父は食事の時は私を連れて歩いていた。


そして真っ先に食べるのが私であった所謂お毒見役である。


そして大阪の団体に行った時も先ずはじめから私から食べて団体の総長が


怒りを露わにしてお前は人でなしの外道だと叫んだことがある。


そして作詞に素質があった私の物を金に換えて自分の遊び銭していて


自分の親ながら恥ずかしく思ってしまう。


しかも実父が社長でいられたのは母が祖母や祖父に買って貰った高級な反物や貴金属を


質に入れ営業から塗る塗装の仕事まで尋ねながら会社の運営をこなしていたのが実情で


そのうちに事務所で塗料の販売をする様になって事務員を雇ったと思ったら実父が事務員と


色恋沙汰になって実父の浮気症は治らず結局結核をうつされ家族に感染した


母はそんな実父と事故で殺されかけた私の面倒見るのに会社は倒産した


今でも思うのはやくざな親を持つと子供は可哀想だと思ってしまう。


こんな悩みだれも知った事かと思うだろうな。


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10件のコメントがあります
1~10件 / 全10件
nyajyaraさん、こんばんは。
ははは母の味噌汁は舌がやけどする位に煮込んでました。
nyajyaraさん

人生って、いろいろありますね。


I SAY さんは、それでも品がある。お母様たちが良いものを着させて、食べさせてくれたのでしょうね。

しろちんさん、おはようございす。

でもね、夢にうなされるのですよ。

そして、強いプロさんに成長した…

ユリッチさん、こんにちは。

それでポルポトを操作したんだけどアメリカ兵が殺してしまった。



そうだったんですか。ぷろさんは大きな歴史の波に揉まれて生き抜いてこられたんですね。

ユリッチさん、こんにちは。

そうして私はベトナム戦争終結に相談受けていたので忙しかったです。

ぷろさん、こちらにコメントさせて頂きます。
まるで純文学を読んでいるような気持ちになりました。昔のお毒味役の悲劇的な物語も思い起こしました。キムタクの武士の一分も原作で詠んでいましたから尚更です。
誰も知ったことか、だなんてとんでもない。このような体験を重ねてこられたぷろさんだからこそ、乙のコーヒーの味を理解され舌で転がせるのだなとわかりました。その意味で、とても深いお話を読ませて頂いてよかったと思いました。

島次郎さん、おはようございます。

私の生きざまがハードボイルドなので、悩みなど余り書かないでいます。

しかし子どもの頃の生きた場所が悪かった大牟田はその頃は大阪と九州との

戦場でした。

この頃はたわいもない話題してます。

島次郎さん

少し前のI  SAYさんの日記調ですね。

ここの処、日記の文章体が以前と変わっていました。

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