隣人隣に誰か引っ越してきた。しばらくの間、空室だった303号室。それが、俄かに騒がしい。引越し業者のようだ。鉄筋3階建てのマンション。俺の部屋は一番左端の304号室。階段を上って一番奥の部屋である。右から順に、301 302 303 そして304号室ということになる。303号室は人の入れ替わりが激しい。俺を含めた残りの3部屋の住人は、ここ10年間替わらない。しかしなぜか303号室だけは、今回の住人で10人目だ。303号室だけ、1年毎に住人が替わっていた。その夜・・・新303号室の住人が挨拶に来た。70代くらいの男性と、40代くらいの女性の2人。父と娘か?しかし最近では、親子ほど年の離れた夫婦もいる。どちらにしても、親子か夫婦だ。あまり詮索するのはやめよう。303号室の住人と会ったのはその時だけでそれ以降は、廊下などですれ違う事はなかった。生活音もほとんど聞こえない。まぁ・・隣人がやたら騒がしいのより全然いいが・・・しかし、それにしても静かだ。静か過ぎる。本当にいるのだろうか?ある時、俺は妻に聞いてみた。「隣に越してきた××さん、最近見かけたか?」妻が言うには、たまに見かけるらしい。何だ、そうか。俺と生活のリズムが違うだけで、実際にはいるらしい。しかし、洗濯物などを見たことがない。そのことを妻に言うと、室内に干してるんじゃないか・・との事だ。妻は全然気にしてないようである。それならそれでいい。隣が静かだ・・という事に何も問題はないのだから。そんな冬のある朝・・・その日、俺はゴルフだった。時刻はまだ5時前。朝の5時前・・である。冬のこの時刻、辺りはまだ真っ暗だ。部屋を出て廊下を歩いていると、前から女性が歩いてきた。髪がやたらと長い。え?誰?俺と、その女の距離は5メートル。このまま行くと、302号室の前あたりですれ違う。予想通り・・・302号室の前ですれ違った。長い髪・・・黒い目・・・カサカサの肌・・・朝帰りか?顔に生気が全くない。年齢は全然分からない。30代のようにも見えるし、老婆のようにも見える。しかし何より驚いたのは、その女は俺とすれ違った後さらに廊下を進んで行ったという事だ。302号室に入らずに・・・女の進んだ方向には、もう・・・303号室と、304号室しかない。303号室は例の親子か夫婦の2人。そして304号室は我が家だ。違う。この女は303号室の住人ではない。もちろん俺の女房でもない。大体、女房はまだ部屋で寝ている。だとしたら・・・この女は誰だ?朝の5時である。こんな時間に・・この場所を歩いてるとしたらそれはこのマンションの住人以外に考えられない。もしかしたら階数を間違えた?2階の住人かも知れない。俺は恐る恐る後ろを振り返ってみた。ギョッ!!俺はこの時の事を今でも忘れない。忘れようとしても忘れられるものではない。この時ほど心の底から「恐ろしい」・・・と思った事はない。 振り返った俺を、303号室の前でまるで俺が振り返るのを予測していたかのようにその女はコチラを見ているではないか。ニヤリ恐ろしい笑みを浮かべて俺を見ている。ひょえ~~~~~~~~俺は、後ずさった。そのまま走ろうかとしたが、なぜか体が動かない。まるで金縛りか何かにあったようだ。女はまだ俺を見ている。あの恐ろしい笑みもまだ浮かべたままだ。ダ、ダメだ。このままでは・・・マズイ!何とかしなければ。その時・・・女は一歩を踏み出した。そして俺に笑みを浮かべたまま303号室の中に入っていった。え?自分で鍵を開けたように見えたが・・・あれは誰だ?まさか・・・あの女が303号室の住人か?引越しの時、挨拶に来た女性と同一人物か?いや・・絶対に違う。あんな顔ではなかった。隣に越して来たのは、あの女ではない。では一体、誰なのか?未だに分からない。これが、今年の2月の話である。それ以降・・・隣室に越して来た2人にも、あの日の朝すれ違った女にも俺は会ってはいない。もちろん、隣室から音なども聞こえない。いるのか、いないのかさえ分からない。あの日以降、俺は意識して隣人の話題に触れないようにしている。事実だから、オチなどはない。また、もしオチがあるとしたら・・・それは・・・これ以上、考えたくはないのだ。