今日は7月15日、衆議院では安倍内閣が集団的自衛権行使法案を可決した。
1ヶ月後の8月15日は、天皇陛下が日本の敗戦と降伏を認めた玉音放送があった。
長きに渡り国力を疲弊させ国土を廃墟とし、戦死者300万人を出した太平洋戦争が終結した。
一般住民が暮らす都市部を無差別爆撃で焦土と化し、罪なき人々が住む広島、長崎に原爆を投下し、一瞬にして多数の人命を奪った。
特に悲惨だったのは、地上戦が行われた沖縄では住民の4人に一人が戦死するひどい惨状だった。
ウンカの群れの如く押し寄せた米軍艦艇が海を埋め尽くし、一斉に艦砲射撃を加えた。
その砲撃のすさまじさは筆舌に難く、山容が変わるほど激しいものだった。
逃げ場を失った住民は洞窟に逃げ込んだが、その洞窟を火炎放射器で炙り手榴弾を投げ込んだ米軍。
全身火だるまになって焼き殺された住民。絶望した住民は断崖から身を投げ、動けぬ者達は自害した。
あれから70年の歳月が経った。戦争を体験した事のない世代が80%を占める現在、皮肉にも戦争が可能な法案が衆議院を通過した。
ここで日本国憲法の条文と制定された背景をもう一度思い起こしてみよう。
日本国憲法は、世界大戦を引き起こした日本を、永久に戦争が出来ない国にしようと米国が考えたものなんだよ。
有名な「戦争放棄」は第9条に書かれている。
日本国憲法が明確に記しているのは以下の通り。
1.高度国際平和の希求
2.国権の発動としての戦争放棄
3.武力による威嚇または武力行使の放棄
4.陸海空軍その他の戦力不保持(放棄)
5.交戦権の放棄
6.平和条項を支える思想と国民的「決意」
「自分の国を誰が守るのか?」と言う議論はなかったんだよ。
問題はその後、米ソの冷戦が始まり、共産主義と自由主義国との戦争が続いた事にある。
朝鮮戦争、ベトナム戦争などはその典型的な事例だね。
戦争が出来ない国日本をなんとかして、共産主義が拡大するアジアでの防波堤にしようとしたことが発端になる。
「憲法改正」と言う手続きを経ず、解釈の変更を続け「自衛隊」を創設。日米安全保障条約を締結した。
その延長が今回、安倍内閣が推し進めた集団的自衛権なんだね。
敵が攻めてきたら米軍を誰が守るのか?とかいう議論が先行している安倍内閣。
考え方が飛躍しすぎている。
国家防衛の為、集団的自衛権が必要なら「憲法改正の手続き」を踏むべきだね。
順序が狂っている。一内閣の解釈変更によって憲法が目指した方向が歪められていい筈はない。
今国会での無益な議論と時間の浪費を、戦死した何百万人の霊たちはどう思っているだろうか?
自分たちの死は一体なんだったのだろうか。
「靖国神社に参拝したから許される」では済まされない問題だと爺ちゃんは考えるが。
時代の流れと共に、国際政治の状況が変わるにつれて、憲法が時代にそぐわなくなっている事は事実だが、それならそれで「憲法改正」の手続きをキチンと踏む必要がある。
安倍政権が諮問した法律家の委員会の委員全員が「憲法違反」だと指摘した事は、実に的を射ている。
安倍晋三君 レッドカードだね。