世の人の見付けぬ花や軒の栗 松尾芭蕉「奥の細道」
ひっそりと世を厭ふて、庵を結んでいきておられる、お坊様の、その庵の隣には、栗の花が咲ひてゐた。こりゃ風流ともいえる。で、でも栗の花の匂ひといへば・・・・・・・・・・・・・・・・・
これそ芭蕉翁のいふ幻術なりけり。
さる三年ほどまえ、国鉄駅の停車場で、ディーゼル車を待っていたところ、髪の毛を金髪や黄色く染めて、破れたジーンズやホットパンツをはいた少女達が、待合室の反対側にをる。
たまには、若いゼネレーションとも、交流せねば、と話しかけてみた。
ただ氣になったのは、三人とも非常に不健康な印象をうける。
デーイゼルが着くまで、のこり一〇分。すると、ひとりの子が小生に近ずひてきて、切り出した。
「オジチャン。お金ちょうだゐ。」と。
こんな地方都市の片田舎の駅では、いままで、こんなことは、考えられなかった。
学校をサボってゐる未成年者じゃなひか。
昨年、生徒へのワイセツ行為で処分をうけた教員は、二万一千人(出所、yahooニュース)。
う~ん。むべもなし。あ、ゐや、けしからん。クビにせよ。それよりも切腹か。ま、ケース バイ ケースか。
といふやふなことを思ひトレードができなひといふは、いいわけで、やはり奇妙に、心落ち着かぬは、
希臘なり。希臘バテ。ETFや株は、sell in mayで、おおかた売却しておるので、希臘問題には、FXで
応じやふ。
「機に応じて變ずるのみ。」出典、三国志