ユリウスさんのブログ

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象徴主義的政治運動 -具体論が広がらず実効性がない-

 気に入らぬ風もあろうに柳かな    仙崖

 気に入らんことは柳に風と受け流したらいいのかもしれませんが、翔年は柳のように柔らかく受け流すことはできない性質(タチ)なので、気に入らないことには一言いいたくなる。ところが大きな問題を議論しようとすると、例えばそれが政治的問題の場合、当然政策論争になるので多方面から論じることが必要になります。政策なので、中身の具体論をいろんな角度から検討した知識を総動員して相手を説得しようとします。(笑)

 

 
 ところが、相手が「戦争に巻き込まれたくないから、憲法を守る」、とか「人が人を殺すのを止めさせるために平和憲法は死守する」とかおっしゃる方に対すると困ってしまうことがよくある。

 「戦争に巻き込まれたくない」も「人が人を殺すのを止めさせる」も、その気持ちや考え方には翔年も賛成です。一方、地球上に200カ国ちかい数の国々が存在し、その国々に国民が住んでいる現状がある。個々に見ていくと、友好的な国もあれば、そうでない国もある。それぞれの国民の命と財産を守ってくれるのは、大抵の場合、自国の政府しかありません。

 となると、「どのようにして、それを具体化するか?」に議論は移らざるをえません。政策の中身の議論ですから具体論しかありえません。ところが具体論になると、なぜか有効な建設的議論ができなくなります。象徴的な「憲法を死守する」、「第九条何が何でも守る」という象徴主義的な話に逆戻りになってしまいがちだからです。議論が一歩も先へすすまないことがよくあります。


 分りやすい例をあげれば、文部省と日教組は何十年ものあいだ、「日の丸」と「君が代」で論争を続けています。象徴主義ぎ的な議論でなかなか決着がつかないのは理解できても、教育を所管する文部省と生徒を教える現場の先生達の議論なのに、「本質的で具体的な教育のあり方」について、真剣な議論があまりにも乏しいのは納得できません。



 先年、お亡くなりになった作家の丸谷才一氏は「象徴主義的な空論はやらずに実質本位で行くべき」と卓見を披露されたことがありました。その実例として、立花隆氏は空論は排除して、実質本位(金脈)でいったからペン一本で内閣(田中角栄)を倒せたと。

 象徴主義的空論批判は今の野党の国会論戦にもあてはまると思っています。建前の奥に潜む現実を見据えた具体的論議が望まれるます。


 憲法改正の議論に於いても、まったく同様の象徴主義的議論がくり返されているように感じます。理想論に留まることなく、現実を見据えた具体的な政策論が国民の間で沸騰することを望みます。
 いずれ項を改めて、憲法問題をアップしたいと思っています。今日のエントリーはその露払いです。(笑)






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