堅実さんのブログ

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禁断のスカルぺルを終わって 6月1日(月)12時27分

「禁断のスカルペル」が昨日、5月31日で終わった。久間十義氏原作である。

1週間程前、この小説は、「手術室の前でこれから手術が始まる前で終わった方が、印象が強い。」と言ったことがある。この予想と同じく、手術の始まる前で終わった。

絵里香の言葉。「他人の臓器を貰うのが絵里香にとって意味の有ることかどうかは、分からないが、生きていたいんです。」の手術前の言葉である。


小説の手術の始まる前である。実のお爺さん(大倉)が、孫の娘(絵里香)のために、腎臓を移植する。孫の絵里香は、実のお爺さんと実の母親、東子のことは知らない。しかし、母親(東子。はるこ)のペンダントは憶えていた。絵里香の赤子の時、東子に抱かれて、じっと掴んで離さなかったペンダントである。このペンダントは東子の母親からの形見で、これから祈る思いで手術に臨む東子の心情を、語っている。大倉の孫への生きてもらいたいという思いもある。

人にはどうにもならない事がある。成功するか失敗するか分からない事もある。誰でもこれからどうなるか予想できないことに、右か左かの方針を、決めねばならない時がる。


 人生、いざとなった時のために、日頃の学習、鍛練は重要である。東子は、手術の練習と経験は十分に積んである。しかし今度の、手術は深刻である。失敗すれば、お爺さんの命、そしてわが子の命を失う。気持ちが動揺してはならない。しかし、そこは人の気持ちである。心がぐらつけば、手術にミスがでるかもしれない。そこで、亡き頼みの母にお願いしたのである。母のペンダントがそれである。何とかお母さんお願いします。この後はどうなるか。それは読者の思いに任せようということである。

最初の部分は、この小説を読んでみて、何とつまらない小説かと思った。そして後半になると、これは松本清張の映画、「砂の器」のラストに似ていると思った。幾つかの断片が集まって、最後に幾つかの話が関連して、集まっていく形式である。


この小説で関連しているのは、血筋である。東子の母親は、東子の実の父親(大倉)のことは話さない。大倉と東子は、お互いに父親、子供を明かさない。そして絵里香は、実の母親が東子であることを知らない。しかし、読者にはその関係が間接、直接に説明されている。

西田佐知子の「エリカの花散るとき」が、全編をバックグラウンドとして流れる。そしてここぞという処に、協会の土地にヒースの花、エリカを登場させている。このエリカが、絵里香と同じも作者の意図である。その協会に東子と絵里香が歩いていくのである。津波で襲われて、荒野となった荒地にエリカが咲いていた。奇跡とも言える、エリカの小さな花が咲いているのを見つける。この協会は、東日本大震災の後の、おそらく石巻市であろう。この地を選んだのも、これから復興することと、命が蘇ることを暗示している。


 今、東子は何もかも忘れて、わが子の命を救うため、手術をしていることだろう。胸には母のペンダントも見守っている。お爺さんの大倉も、天に向かって、祈っているだろう。手術室のスタッフ一同、同じ思いであろう。

 



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