窓際リーマンさんのブログ

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投資のアイデア、メモ、雑感(5)

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いろいろな本を読んで書き出した言葉、文章の羅列。過去に起こったことやその流れや大きな視点から何かを見いだせれば何かのヒントになるかもしれない。

1980年代を中心に日米の経済状況について書き出してみる。
・1979年2月イラン革命。イランの石油生産が中断。1978年末にはOPECが1979年から原油価格を4段階にわけ14.5%値上げすることを決定。アメリカでは1970年代はスタグフレーション(不況なのに物価が上がる)だった。(´Д`;)
・1978年8月に当時の連邦準備制度理事会議長だった"インフレファイター"ボルカー議長が「新金融調整方式」と呼ばれる金融引き締め政策を行った。ボルカー・ショックによりFFレートは急上昇、株価は暴落、中小の金融機関の倒産があいついだが何とかインフレは収まった。(^-^;)

ボルカーは1982年後半も3年連続の金融引き締めを行おうとしたがメキシコ債務危機(累積債務問題)などの影響もあり断念した。(南米の国々がやばかったらしい)
アメリカの金利が高くなることでメキシコがなどの南米の国々が、貸し売り、延べ払いができなくなり、そういった国へ輸出できなくなる。
びっくりして1982年8月にアメリカは公定歩合は引き下げた。(・o・)!
世界中危ない国だらけになってしまい世界中のお金が一部の先進国に行き場のなくなった資金が流れ込むこととなる・・。行き場のない資金が株式市場になだれ込み先進国の同時株高現象が起きた。
ちなみに世界一の富豪、カルロス・スリム氏はこのメキシコ債務危機に逆張り投資を行い大成功を収めています。
                                                 ● 日本の状況●
・第二次オイルショックが進行している時点では株式市場は意外に堅調。主役は1980年から1981年初までの日本株の主役は急激な円高を背景にした外国人投資家(オイルマネーが増えた為)と仕手筋だった。オイルマネーは日本の半導体を中心にエレクトロニクス革命を達成しようとしていた日本の電機メーカーなどの大型優良株を物色した。(第一次オイルショックを克服した日本の技術力を買ったともいえる。現在でも森精機などがオイルマネーに人気ですね)
1979年後半~1981年の夏ぐらいにかけて東芝、ソニー、NECなどの株価が2~3倍に暴騰。
その後、1981年夏から1982年にかけて40%~50%ぐらい暴落した!
栄光を掴み取った人もいれば高値に飛びついて大きな損失を負った人もいたと思われる。(´Д`;)

個人の資産家の資金を集めた投資グループ、K筋こと加藤晃の「誠備グループ」もこの頃に市場を賑わせてる。後に逮捕(今年も捜査の手が入ったみたいですが)。1980年は仕手株が乱舞したかなり特異な年だったそうです。
他の仕手株グループとして京都の医療法人「十全会」グループ、大阪の「日本土地グループ」などが有名。信用取引の仕組みを利用した仕手戦が露骨に酷かったので東証は1981年1月から資本金30億円未満の銘柄を貸借銘柄から除外する措置がとられた。
表で見比べてみるとオイルマネーにあわせて仕手筋も活発化しているように見受けられます。
個人投資家の資金が市場を賑わしたのは比較的に短期間で終わり、次第に企業に蓄積された資金が機関投資家を経由して株式市場に流入していくこととなった。1980年代前半は「バブル準備期」だった。

日本の景気そのものは1980年2月をピークに景気後退。世界同時不況により外需が低迷。約36か月間、景気は後退していった。アメリカの景気も1980年1月をピークに1980年7月まで景気が低迷。
低迷している株式市場とは裏腹に1968年~1982年はおおむね商品市場は上げ相場だった。(^-^)
逆にアメリカの株式市場は1966~1982年まで低迷・・・(~_~;)
債券市場も暴落して金利は二桁に(・o・)!

二度のオイルショックを経て日本は1981年より本格的に経常収支の黒字を累積させていく段階へと進んでいくこととなる。

眠いのでいったん終了。書き出すと過去の動きがよくわかる・・。

※参考文献:「日本経済の記録1」内閣府経済社会総合研究所
 参考文献:「石井独眼流実戦録―かぶと町攻防四十年」首藤宣弘


1件のコメントがあります
  • イメージ
    窓際リーマンさん
    2015/5/17 18:55
    追記記録:1982年春ごろより、日本の債券市場からオイルマネーの引揚が目立つようになる。※債券の売買金額

    ナイジェリア・・・1982年3月、金額不明
    リビア、ベネズエラ・・・1982年7月、100億円売却
    クウェート・・・1982年7月、300億円売却
    イラク・・・1982年10月以降、1000億円売却

    1982年の第四四半期のオイルマネーの対日債券投資300億円の引揚げ超過。

    ※参考文献:「逆オイル・ショック全研究」最首公司著
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