江戸時代に外国人がびっくり仰天したのが銭湯だったそうな。
当時は江戸では湯屋と呼び関西では風呂屋と言いました。
この銭湯では男女混浴が当たり前で、若い娘も他人の女房も裸を見せておりました。
別に恥ずかしいと言う事もなくそれが当たり前だったのです。
ですから巷話では、「誰それの娘さんはえ~ちちしとった」とか「え~尻やった」とか話題になったそうです。普通に見られる光景だったので悪気もなかったようですよ。
「えっ? うらやましい~。江戸時代に行って見たいって?」^^;
ちょっと風紀に問題ありとして寛政の改革の後は男女別湯になったそうですが、浴槽だけが別で、脱衣所、洗い場は男女の境がなくて見放題でしたとさ。
黒船で有名なアメリカのペリー総督。彼は下田の銭湯が男女混浴であり、なおかつ若い女性も平気で裸になることを知って、驚愕しています。