インドは維新が始まっている

ヒロろんさん

さきごろソフトバンクの孫正義氏がインドを訪問したところ、モディ首相が会見した。一民間人実業家と会うというのは異例である。

インドはコンピュータ産業の本場、ソフト開発のメッカ。孫の狙いは「第2のアリババ」探しである。孫は中国の馬雲と組んで、アリババの筆頭株主。同社がNY上場の折、時価総額で何千億が懐に入ったことはインド人でも知っている。

中国の自動車販売は2400万台強(14年度)、アメリカと欧州全体の販売台数を超えた。この趨勢はいつまで続くか?

日本企業が中国現地生産をつづけているのも、将来の巨大市場に希望を託しているからだが、トヨタ、日産、ホンダそれぞれ中国での販売減に見舞われている。

インドの自動車工場はデリー近郊のハリヤナ州、南東部のチェンナイ、一部はハイダラバード。しかし今後、最大の生産拠点となるのはグジャラート州である。

このグジャラート州の州都はアーメダバード。昨年九月、習近平中国国家主席はわざわざ、このアーメダバードを訪問し、同地の伝統的なブランコに、モディ首相となかよく乗って「友好」を演出した。

アーメダバードはデリートムンバイの中間地点、将来の新幹線という動脈ができれば、ますます便利になる。

言うまでもない。グジャラート州はモディ首相の出身地だ。

彼は「経済改革」をここから手を付け、「停電のない工業地区」を実現し、世界企業が注目した。日本からの工場誘致にも熱心で、州知事(グジャラート州首相)時代にも何回か、日本に来ている。

真っ先にインドで生産を本格化させたのはスズキである。1982年、地元のマルチと合弁で小型車の生産をおそるおそる開始した。

紆余曲折を経て、2002年にスズキはインド合弁企業を子会社化した。そしてインドでの生産は100万台を突破した。

いまやスズキはインド自動車市場の45%という圧倒的なシェアを誇る。日本車で次に目立つのはトヨタ、その次はホンダ、そして韓国ヒュンダイである。

筆者が最初にインドへ行ったのは1972年だった。

デリーの外国人が宿泊できるホテルはアショカホテルくらいしかなく、タクシーは「三日ほど待っている」(運転手)というほどホテルと空港と駅でひたすら客を待つ状態。主力はリキシャ。


 ▼グジャラート詣にケリー国務長官、バン国連事務総長も

インドを走る車といっても、時代遅れのロールスロイスやオースチン、それも中古のおんぼろ、まさしく英国植民地時代の名残であり、インドは独立後、ながらく経済鎖国のままだった。外向性自動車の輸入関税は200%
だった。よほどの財閥しか購入できなかった時代が長く続いた。

筆者が雇ったタクシーは市内を3時間ほどチャーターしても、運賃は1ドル(当時レートは330円)。チップに1ドル渡すとじつに嬉しそうだった。ホテルのフロントは筆者がしていた安物のセイコー時計を「中古でもいいから売ってくれ」「是非、売ってくれ」と執拗だった。それで最終日に売ってあげた。18ドル(5940円)だった。日本で5000円もしなかった時代。時計には200%の関税がかかっていたのだ。

空港の売店に英語の書籍はあまりなく、『TIME』がおいてあったが、なんと3ヶ月前のものだった。免税店もオールドバーが8ドル、タバコは「555」「ロスマンズ」など、ことごとくが英国のブランドだった。カートンではなく一箱でも売っていた。

2015年1月11日からアーメダバードで世界から1000社の名だたる企業人が参加しての「バイプラント・グジャラート」がモディ首相の肝いりで行われた。米国からはケリー国務長官が飛んだ。

開会式のキーノートスピーカー(基調演説)に立ったのはスズキの鈴木会長だった。

そして鈴木氏はこう言った。「インドに維新が始まった」   
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