ヒロろんさんのブログ

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人生30,000日


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人生30,000日
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Andy Chang

年が明けて2015年になり、80歳後半になった。明けましておめでとうと言いたいが、新年早々、探し物で一日を潰したり、友人にメールするのに人名を書き間違えたり、ボケが進んでいるのがわかる。80歳後半に入ると身体のあちこちが故障して、ことに物忘れや人の名前を忘れたり、よく知っている単語が言えなくなったり、頭の老化が目立つ。

単語と言えば若いときは英語と日本語の同時通訳を何度かやったこともあったが、同時通訳とは全ての単語を全て別の単語に置換し、文法も完全に直すと言う作業で、非常に疲れる仕事である。今では日本語、台湾語、中国語、英語の相互置換がうまく出来なくなった。

若かった時代は自分が果たして21世紀まで生きられるかも疑問だった。それがいつの間にか21世紀になって、古希、喜寿、傘寿と、まるでハードルを飛び越すように生きて、残るハードルは米寿、卆寿、白寿、中寿だそうな。あといくつハードルを越えられるかは神のみぞ知る。残るハードルを数えるよりも残りの人生をどう有意義に過ごすかが大事である。

●三万日の人生

「時代と国境を超越した自由人」といわれた新聞記者、張超英氏は彼の自伝、「宮前町90番地」のなかで、「一年を365日とすれば人生90年は大体3万日となる。初めの一万日は学習と人生の準備に費やし、第二の一万日は事業の発展と子女の養育に励む。第三の一万日は主に回顧だけだが、人生に決別する刹那になって、あれもこれもやれなかったと嘆くことはない」と書いている。達観である。

私の場合も大体同じで、学位を取るまで一万日、学位を取って仕事に精出したのが大体一万日だったが、残りの一万日は、台湾に住んでいた父母の世話を7年やって、そのあとは2000年からAC通信で台湾問題を書き始め、今では15年目に入ったところである。

一年を365日として80歳になったら29200日を生きたことになる計算だから、三万日まであと幾らも残っていない。若いときはこれまでに何年生きたと数えることもできるが、老人になったらあと残り何日と、年で数えるより日数で数えて生きるべきである。日数で数えると思えば毎日の生きざまに浪費が多いことに気がつく。

●白いジグソーパズル

張超英氏の回顧録には66回のエピソードが綴られている。華やかな人生だったと思うが、人によっては66回のエピソードは書けないかもしれない。回顧録を書きたい人は幾らでも居るが、66回のエピソードを書ける人は少ない。

彼の回顧録を読むと人生はまるでジグソーパズルみたいだと思う。一つ一つのエピソードがそれぞれパズルの一片である。

私の人生二万日は最初の数年は石油探査の仕事だったのでパズルを書くことはできるが、学位を取った後はアメリカ政府のシークレットの仕事で、書く事が出来ない、つまりジグソーパズルな真っ白である。最初の20年ほどは地震観測網を使って世界中の核爆発の有無を調べる仕事だったが、研究の内容は書けない。そのあとの10年はトップ・シークレットだったので仕事の内容も書けない。

面白かったのはトップ・シークレットの仕事にはコードネームが付けてあり、更にコードネームもシークレットで、コードネームにもコードネームを付けてあった。つまりAと言う仕事をBと呼ぶが、更に会社の中でもBというコードネームを口にしてはいけないと言われていた。この仕事は今でも続いているので解禁になるのはあと10年以上かかる。私の人生のジグソーパズルは真っ白で回顧録は書けない。

●人生は点と線

人生は自分のことだから回顧録など書いて他人に読んでもらう必要はない。人生の最後であれもこれもやり残したと遺憾に思っても仕方がない。まだ残っている人生をどのように生きるかが大切である。それには過去を振り返ることではなく、将来を夢見るのでもなく、毎日を有意義に過ごす事が大切なのだ。

人生三万日、過去は生きた事実があり「線」である。残る将来をどう生きるかを計画するなら「点線」だが、点線がどこまで続くかはわからない。現在は「点」であるが、残りの人生を精一杯生きるには毎日の点を有意義に過ごすことが大切だと思う。


            
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