雑談

ヒロろんさん

 「夕暮迫れば、灯(あかり)がともり、文明開化の色を見る」

 明治5年、日本で初めてガス灯が燈った横浜に大勢の見物人がやってきたそうです。日本初のガス会社を興しガス灯を設置したのが高島嘉右衛門(たかしまかえもん)です。現在でも横浜の馬車道で、当時の型を復元した街灯を見ることができます。

 高島は、他にもセメント会社を興し、石炭会社を経営、水道事業等にも関わるなど明治期を代表する実業家の一人で、東京・横浜間の鉄道敷設を計画し、路線短縮のため海の埋め立てを実行、その所産が現在の横浜市営地下鉄高島町駅や高速鉄道みなとみらい線新高島駅の駅名に残ります。

 高島嘉右衛門が豪商になる前、若くして家業の材木商を継いだ頃の話ですが、ある時、幼少の頃に身につけた易占いで大地震の発生を予言し、大量の材木の買い入れに動きます。間もなく起こった大地震が「安政の大地震」で、江戸の町は倒壊と火災とで甚大な被害を被りましたが、その復興事業で高島は巨利を手にします。

 高島の名は実業家としても名を残していますが、それよりさらに有名で皆様もよくご存じの業績を残しています。

 復興事業で大金を手にした後、一転して巨額の負債を背負ってしまうのですが、横浜で商売をしている時に外国人との取引で国内と国外の金と銀の交換比率の違いに気づき、それを利用して利益を得、負債を完済します。今でいうところの為替のディーリングで、このやり方が当時のご禁制であったため入獄。
獄中の数年間と出所後は易学の修養に励みました。

 高島の占いの的中率は高く、大久保利通や西郷隆盛、山県有朋、大隈重信、伊藤博文ら時の政府高官にも指南する易占の大家となってゆき、伊藤博文の死期については、暗殺であることや暗殺者の名前まで予見したとされています。

 新年を控えたこの時期、本屋には来年の暦として高島易断が並びますが、その高島易断を創始したのが高島嘉右衛門で、「易聖」と言われた高島呑象(どんしょう)その人です。

 ちなみに呑象(どんしょう)の名は、勝海舟から号をつけたらどうかと勧められ際に、「どうしよう」の語呂合わせから付けられたとの話が残っています。

 尚、昭和31年に呑象の御子息が寄稿した文には、世の中に数多く存在する「高島」を名乗るすべての団体や易者は、高島呑象の門下でも縁故の者でもなく、当家とは関わりはないと記されています。

 また、営業を妨害するつもりはありませんがと断った上で、「高島易断を謳って当家又は当家縁類の者であるかの如く、又、亡父門下生であるかの如く社会一般に於いて信じられ居る事は迷惑至極で御座います」としています。
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