科白の御法度

元祖SHINSHINさん
元祖SHINSHINさん

「行って来い」というのは、ここでは相場の話ではない。

表題にあるように、科白の話だ。

他には「聞いたか坊主」、「予告(前せつ)」などの禁じ手があるという。

 

今、オイラは密かに、某ベテラン・シナリオライターのブログを読んでいる。

「こういうことを知りたかった」という事柄の目白押しだ。

 

冒頭のような禁じ手をシナリオコンクールに書いてしまうと、

それはもう、大きな減点になるという。

 

シナリオは、小説とは違うとそのシナリオライターは言っている。

けれども、共通点が多いのは確かなので、

これを読まない手はないだろう。

 

途中まで読んでみた感触だと、

この先生の語るシナリオの書き方は、

小説家で言うと北方謙三的なのだと思う。

 

そう思いながら読んでいくと、

北方謙三が「削って、削って」と言っていたのは、

あながち冗談じゃなかったんだなぁ・・・と、恵心したりする。

 

けれども、小説の場合は他にもさまざまな書きようがあると思われるので、

現実の小説を読み込みながら研究を積んでいって、

このベテラン・シナリオライターの見解を、相互参照しながら取り込んでいこうと思う。

 

以下、先生のブログから引用する。

 

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とにかく「行って来い」といい「予告」といい、リズムやテンポを毀すことこの上ない。

読む側の生理的な反応を考えたことがあるのだろうか。

私はあえて云う、シナリオはリズムであると。

120枚の作品であれば、ドーンと胸に応えるシーンが4ヶ所あって、

それぞれが15枚を要する心情的葛藤のシーンだとすれば、それで60枚。

更に7枚の芝居どころが5ヶ所あって、35枚、計95枚。

あとは効果を引き出す為の1枚、2枚のシーンが並ぶわけで、

トン、トン、トン、ドーン、トン、トン、ドーン、トン、トン、ドーン、ドーン、トン、トン・・・・読者を惹きこむには、先ずリズムだ。

 

「音痴にはシナリオは書けない」これは、私が尊敬している先輩の言葉だ。

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リズムに関しても、北方謙三がハウツー本で答えていたことと、同じ考え方だ。

とてもオモロイ。

 

PS:この先生の名前は明かさない。

   ライバルは、少ない方がイイ。

   (なーんて、有名なブログなようなので、検索したらすぐわかっちゃうけど)

 

 

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