最近、「昭和レトロ」という言葉を聞くようになりました。平成生まれの人が増えて、昭和は過去の遺物になろうとしているのです。それでも株式市場にとって、決して忘れられないものがあります。あのバブルの記憶です。
昭和バブル(土地、資産バブル)は1983年、株価8,000円をスタートとし、以後2桁の伸びで上昇し、89年末には歴史的な39,000円をつけて弾けました。きっかけは、89年12月に日銀総裁に就任した三重野氏の、大幅な公定歩合の引き上げにあるというのが定説です。
89年といえば、昭和から平成に替わった年で、バブルは昭和とともに終わったのです。株価は平成に入り暴落し、90年の下落幅は39%に達しました。日銀は91年の7月に、公定歩合を6.0%から0.5%引き下げましたが、極端な金融引き締めは継続しました。背景には値上がりで、土地も株も持てなくなった庶民からの怨嗟の声です。マスコミも一部の政治家も、この声に乗り日銀を後押ししました。
その後しばらくの間は、15,000円から20,000円で小康状態を続けていたのですが、97年から98年にかけ、拓銀、長銀、日債銀と続き、証券大手の山一證券まで巻き込む破綻オンパレードとなりました。株価の暴落は、経済、社会、国際情勢へと影響を広げ、90年代は、バブルの後始末に追われる年となりました。
2000年に入っても倒産劇は続きましたが、小泉構造改革で、金融機関の整理と不良債権処理も進展し、アメリカでの住宅バブルの恩恵もあり、07年には18,000円を突破します。これでバブルは終わりかと思わせたのですが、住宅バブルがサブプライム問題で弾け、世界的な大恐慌に発展します。日本の株価も08年には、一気に7,000円を割り込むまでに暴落します。実に高値から18%、7分の1にまで落ち込みました。
バブルの崩壊は、2012年末安倍内閣が誕生し、株価が10,000円を超えるまで、四半世紀の歳月を掛けてようやく終わりました。
80年代後半バブルの最盛期には、六本木、銀座、赤坂などの夜の盛り場は大盛況でした。六本木ディスコのお立ち台から、ディスコブームは全国的に広がり、日本中に札束が乱舞し、皆大金持ちになったような気分で遊びに夢中になったのです。
資産バブルは土地の値段をあげ。東京山の手線内の土地を売れば、アメリカ全土が買えるとまでいわれました。ゴルフ会員権では億ゴルフ場が続出、小金井ゴルフ場は10億円出しても買えません。「星影のワルツ」を歌って紅白出場した千昌夫は、本業の歌でなく土地と株で財を成し、歌う不動産王ともいわれるようになりました。
10億20億は当たり前、1,000億もっていないと金持ちといわれない状況だったのです。学生の就職は絶好調、失業率は低下し、将来への夢が広がりました。株は買って持っていれば誰でも簡単に儲かりました。
ところがバブル崩壊を境にして、経済も、社会も、政治も、国際情勢まで一変しました。人々は夢と自信を失い内向きとなり、投資は抑えタンス預金を眺めて暮らすようになって、デフレが定着します。日銀は高金利と貸し出し抑制を通じて、株、土地、ゴルフの会員権を徹底的に攻撃したのです。90年代初頭の銀行預金利息は、10年もの定期預金で8%、郵便預金は10年後に元利合計で倍額にまで上昇しました。
バブルは、景気循環の株価サイクル(底値期、上昇期、天井期、下降期)の大型のものと見ることもできますが、違いは「弾ける」ことです。バブルとは、合理的に説明がつかないほど株価が上昇する現象ですが、急激に大幅に暴落しない限り、株式ブームと呼ばれる通常の株価サイクルで、このくらいの株価の変動は3~5年に1回くらいは普通にあります。
問題は、説明がつかないほど株価が上昇し、急激に大幅に暴落した株価現象が、社会現象に変わってしまうときです。こうなると、バブル、バブルの大合唱となり、始めて「あの上昇がバブルだった」となります。「バブルは弾けてみないと分からない」という言葉通りです。著者の知る限りこのような現象は、日本では「昭和バブル」しかありません。
アメリカでは、2008年、サブプライムローンバブルと呼ばれる金融市場の異常な膨張が弾けて、大手証券会社のリーマンブラザーズが破綻し、100年に一度の大不況になるまで社会問題化したのです。名称も、サブプライムローンバブルより、リーマンショックとして残りました。
バブルは崩壊後に社会問題化することから、悪いイメージとして捉えられているようです。でも、株式投資にとっては、一生に1回あるかないかの大儲けのチャンスです。「バブルは怖いから近寄るな」では、株式投資をするなと同じです。株式投資の目的は儲けることです。バブルは、またとないチャンスなのです。
それでも、弾けた後の対応を誤ると、著者のように財産を10分の2にまで減らす地獄行きとなります。また、バブルの頂点付近から投資を始めた人にとっては、始めからタイタニック号に乗ってしまうようなものです。まさに株式投資の明暗を凝縮したのがバブルです。
著者は、バブルの反省から、持ち株の評価益は幻と考え、値幅取りではなく配当金で生活する株式投資法に切り替えて実行に移しました。ファンドを設立し、投資資金と生活資金とを明確に分離し、配当取りのポートフォリオで株式を運用することにしたのです。
コンピューターと外国人投資家が支配する日本の市場では、ふたたびバブルは起きないという意見もあります。著者は必ず起きるとみています。現に金融工学が発達したアメリカで、リーマンショックが起きています。
「大相場はバブルで終わる」のでしょうか。今回のアベノミクス相場が、バブルで終わらないという保証はありません。誰も明日のことは分からないのです。