二宮尊徳翁(自筆は金治郎)は天明7年(1787)、相模国栢山村(今の小田原市栢山)の豊かな農家に生まれました。再三にわたる酒匂川の氾濫で田畑を流され、家は没落し、過労により両親は亡くなり、兄弟はばらばらに親戚の家に預けられました。金次郎は 、朝暗いうちから夜遅くまで汗と泥にまみれて一生懸命働き、その間余裕ができればわずかな時間も無駄にせず勉強をして、先人の教えを理解しようとしました。荒地を開墾して収穫を上げお金を貯め、質に入れていた田畑を少しずつ買い戻し、一生懸命努力して24歳までに一家を再興しました。
全国のいたるところに銅像が建てられ、私が通った小学校の前栽にもありました。
薪を背負っていた金次郎の時代が、今は歩きスマホの時代。
社会も、自分のことだけで精一杯、自分だけ良ければのような社会。
二宮尊徳は時代を超えて多くの人から尊敬されていますが、
今の時代は「二宮損得」・・・と名前を変えなえければと思える人が増えてきたと思うのは私だけでしょうか。。。。
二宮金次郎さんが現代の社会を見てこの国の未来を案じてるのではないか・・・