先日来の雨で山の保水力が限界に達しているなか いよいよ台風本体の雲がかかり出した。
凄い集中豪雨になってます。今日の株式市場と同じです。
株はノーポジだから被害なし。ところが雨は逃げれません。
山腹に亀裂が~! 高知県大豊町には避難指示が・・・
42年前の繁藤(しげとう)災害が思い起こされる。
JR繁藤駅を含む地域が深層崩壊の山崩れに見舞われ大災害となった。
救援に行った救助隊までもが二次災害の犠牲者となった痛ましい災害だった。
1972年(昭和47年)7月4日から5日にかけて、暖かく湿った空気が舌状に大量に流れ込むことで大雨をもたらし“姿なき台風”とも呼ばれる「湿舌」が四国山地にぶつかったことにより、土佐山田町繁藤では1時間降雨量95.5mm(5日6時)、24時間の降雨量が742mm(4日9時~5日9時)という激しい集中豪雨に見舞われた。平年の3か月分という大量の雨が一気に降った影響で地盤が緩み、至る所で小規模な土砂崩壊が発生していた。
前日からの激しい雨はさらに降り続き、降り始めからの雨量が780mmに達した午前10時50分頃、小崩壊を起こした山腹が、いくつかの雷が一度に落ちたような大きな音と共に幅170m、長さ150m、高さ80mにわたって大崩壊を起こし、10万m³もの大量の土砂が駅周辺の民家のほか、駅および駅構内3番線に停車中だった高知発高松行き224列車[1](DF50 45号機牽引、客車4両)を直撃した。突如発生した大崩壊による土石流は、家屋12棟や機関車1両と客車1両を一気に飲み込み、現場付近で救助活動を行っていた町職員や消防団員、その活動を見守っていた周辺住民や列車の乗務員、乗客らを巻き込んだ後、駅背後を流れる20m下の穴内川まで流れ落ち川を埋め尽くした。中でも機関車は川の対岸まで飛ばされるほどに土砂に押し流され、1両目の客車が機関車の上に乗りかかるように埋没、2両目が崩れ残った路盤に宙吊りとなり、辛うじて3両目と4両目の客車が被災を免れた。