尖閣防衛での制空権についての議論で、日中のパイロットは熟練度が違うから日本優位との楽観論がある。
これは正しいだろうか?
中国軍が間抜けならば正しい。
第二次大戦中、日本のパイロットの熟練度は必ずしも低くなかった。
士気も熟練度も、さらに言えば航空機の空戦能力もどちらかというと米国に勝っていた。
それなのに、日本の航空隊が米軍に圧倒されるようになったのは量的劣勢のほかに、戦術の差があったと思う。
航空戦ならば(おそらく戦争末期まで)日本優勢だったが、米国は航空戦にならない戦術を取った。
上空から急降下して一撃離脱という戦法を取った。
この戦術は非熟練パイロットでも容易、かつ低リスクな戦術である。
このように米軍は熟練度や士気が問題にならない戦術をとったのに、それに対して、日本は戦術の転換を出来なかった。
戦術よりも個人の能力(根性とか)に頼った戦法を取り続けて、量的劣勢以上の戦況悪化になった。
こういう状況は陸海空全てに見られた。
個々の能力もさりながら、それ以上にそれらを動かす戦術(システム)をどう組むかで組織としての戦闘能力(組織力)は大きく変わる。
個々の能力が低くても(装備も悪くても)、組織力を高める戦術・システムは幾らでもある。
米国企業と日本企業のパフォーマンスの差にもシステム構築の差異が影響してると思います。
これは結局、幹部・指導者が知恵をめぐらしているか否かの差異であり、幹部・指導者が特権化してるか否かの差異(特権化してるほうが知恵をめぐらさない。。実際、日本の幹部・指導者はどこからも監視されず実質的な責任を負わず特権的。 サラリーマン経営者然り、官僚然り、旧軍部然り)
安定期が続き特権的なものが増えてくると、指導者の戦略ミス(戦略皆無(笑))のみならず、戦術ミスも起きやすくなります。
だから、平和時には特権が出ない、指導者があぐらをかけないシステムを構築する必要がある。
特権化回避の根源になるのは、国民が主権者としておとなしくならないこと、おかしいことはおかしいと言い続けること、公正を捻じ曲げるものに対し有形無形の抵抗をし続けること、、そういう姿勢。
(補足) 先のワールドカップの日本惨敗?(ギリシャに分けたからそれほどの惨敗でもないと思う)もシステム構築のミスの典型事例だと思います。 一方、数的劣勢、装備貧弱だった日本陸軍のノモンハン事件での大戦果(戦後のロシア資料開示で明らかに)は戦術の大成功事例。 満州事変の大成功もそう。