jojuさんのブログ

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★市場原理の競争社会が幸福になる理由(競争規制は不幸量産)

 市場原理とは「より良い製品・サービス・労働により高い価格・報酬がつく」という当たり前の原理。 公正原理とも言える

 これは経済活動の自由度が高まると自ずと働いてしまう。 
 誰だって自ら損をし続けたくはないので、自由に取引すれば、公正価格・公正報酬に収れんしていくのです(価格・報酬とも公正水準を中心に波打つがかい離しない。平均的には公正が保たれるようになる)

 で、そこにおける競争、経済競争とは利益獲得合戦であり、より良い製品・サービス・労働を互いに提供しあう社会貢献競争である。 新たな付加価値を生む競争である(プラスサムゲーム)。 これは非常に前向きで明るい競争

 この競争のなかでは、もちろん、相手のアシを引っ張るほうに力を注ぐアホも出るが、そちら方向に力を注ぐほど、付加価値は生まれにくくなる。
 これでは、相手の利益を削ぐことは出来ても、自分の利益を膨らますことは出来にくくなる。 持続的に稼ぎ拡大とならないので、競争に負けていくことになる。
 だから、こういうネガテイブな競争(ゼロサム、マイナスサムゲーム)は経済競争の主流にはならない

 経済競争社会は自由な環境下で増進していくから、競争に参加するもしないも自由である。 いつ稼ぐのも自由だし、いつ降りるのも自由、相互の切り替えも自由なのです。
 競争そのものが明るいうえに、それに乗るも乗らないも自由で(乗らないときはその分、報酬・所得が減る)、かつ社会全体に付加価値が高まり利便・所得が増していく、、、それが市場原理の競争社会だから、そこでは多くのヒトが充実した人生を歩める可能性が高い

 これに対し、競争規制的な社会はどうか?
 競争規制的ということは自由度が低いということである。 すべてのヒトが稼がない方向、稼げない方向に固定される社会ということ。 このような経済競争がない社会は一見穏やかに見えるが、実は牢獄(社会全体の牢獄化、国民全体の家畜化)みたいなもの。
 また、社会貢献競争が起きないのだから、付加価値が増えず、利便・所得も増さない
 こういう社会ではみな、同じように(平等にw)つまらない不便な人生を送ることになるでしょう。
 みな平等につまらない人生を送り、みな平等に貧しくなる社会


(補足) 市場原理は実は経済的自由がなくても底流では働いてしまう。 経済的自由がなく不公正な社会になっても、その不公正さを最後にひっくり返す形で働いてしまうのです。 不公正な状態、、、粗悪製品・粗悪サービス・粗悪労働に高い価格・報酬が付く状態を、多くのヒトが放置し続けるなど出来ない。 そういう状態はいつか必ずひっくり返される。 市場原理は実はいつでも誰でも(国家でも)避けられない自然法則




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