書籍の中のキーワードは、
中立を保って読めば、そう人と変わらないものが挙がってくると思われる。
しかし、オイラの場合には、特殊な事情が背景にあるので人とは違ってくるだろう。
オイラにとって「海辺のカフカ」のキーワードを挙げると、
次の言葉になってくる。
「神社」、「知事」、「落雷」の三つだ。
オイラは若い頃、「神社」で神秘体験をし、
県につとめているときにIT談合に巻き込まれ邪魔者として始末され、
「知事」関係者が「落雷」に遭って二人死んだ。
「1Q84」と同じように、またまたオイラは材料になったのか?
手持ちの資料を調べて、その可能性を探ってみた。
「1Q84」が書かれたのは2009年、
「海辺のカフカ」が書かれたのは2002年と新潮文庫の帯にはある。
オイラが懲戒免職になったのは、2006年だ。
★人事異動通知書
地方公務員法第29条第1項及び第3号により神奈川県技術吏員を免ずる
平成18年10月17日 神奈川県病院事業庁 堺 ○▲
という、文書が手元に残っている。
我ながら、よくぞ捨てずに残しておいたものだ。
(いつか小説にでもしてやろうと思ったのかもしれない、多分)
このことより、「海辺のカフカ」においては、
オイラが材料になったわけではないことが証明される。
有料会員制のマエストロ掲示板における契約年月を調べても、
このことが証明されると思われたが、
残念ながら、手元の預金通帳はその当時のものがなく、
支払い履歴については銀行へ問い合わせないとわからない。
しかし、これは不思議な符合なのであって。
「1Q84」を書くにあたって村上春樹自身も、
この不思議な符合に気がついていた可能性がある。
さらに「アフターダーク」で書いていたことも思い浮かんだであろう。
そして、自身が1984年に藤沢市鵠沼に住んでいたことも影響した。
その辺の事情について、
オイラはマエストロ掲示板でガンガン書いていたのだから。
勤務している転職先についても、実名で書いていた。
(そしたら、若い頃の三浦しをんが来店したりした)
「海辺のカフカ」をたった今、読み終えた。
冒頭に挙げたキーワードのことを思うと、やはり村上春樹は予言者に思える。
内容に目を向けると不思議なことに、
オイラ自身に向かって書かれたかのように思える箇所が
たくさんあって、上下巻とも付箋だらけになった。
人生の教訓ともとれる内容が満載だった。
しかも、その言葉はとても暖かい。
オイラにとって今ではすっかり、村上春樹という人物は他人ではなくなっている。
父親か兄貴のような存在と化しているのだった。
まるで色川武大と伊集院静の関係のようだ。
となるとオイラはやっぱり、どこかの新人賞に通らないといけない。
それが一体いつになるのか、それとも力尽きてあの世に出かけてしまうのかは不明なれど。
少なくとも確実に言えることは、
村上春樹という予言者から、オイラは生きる希望を授かったということだ。
「文学で人を救えることがある」と新聞にあった、
その名を覚えてはいないが熱い作家の言っていたことを、
ただただ読み手として実感するばかりだ。
こういう良識ある作家たちがいるということ、それは人類の財産だ。