発展途上国ゆえ、民主化度は低く、国内の情報統制は容易で、為政者が戦争を起こしやすい環境にある。 発展途上国ゆえ、モラルは低く、他国への侵略、強奪を国民が容認、歓迎しやすい環境にある。
そういう国が軍事大国化すれば周辺国、国際社会との軋轢増大は避けられない。
で、軋轢増大となった場合、中露連携が進むのは必然の流れ。
中国vsアジアの紛争拡大、ロシアvs欧州の紛争拡大、中露の連携拡大、、、この3つは中ロが発展途上国のまま、軍事大国化してる以上避けられない。
社会主義vs自由経済のイデオロギー対立による冷戦が終わっても、中ロが軍事大国の発展途上国である以上、冷戦は終わらない。
中ロが軍事大国の発展途上国であることが冷戦の根本原因であり、社会主義イデオロギーは中ロの侵略を美化するためのプロパガンダに過ぎず、そういうプロパガンダが無くなっても(イデオロギー対立が無くなっても)冷戦は終わらないのです。
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今、日本では中露連携を防ぐため、ロシアと協力を進めよ、という論説がある(左翼系マスコミを中心に)。 しかし、これは誤りである。
なぜなら、対ロ協力を進めても、中国と日本の軋轢は減らず、中国のロシア接近は止まらないからである。 日ロ協力の拡大はロシアをダブルで利するだけで、中ロ連携勢力をさらに強大化させることになる。 日本の安全保障には却ってマイナス。
同様の論説は欧州にもある。 ロシアけん制のために中国と結ぶ、という考えである。 これも日本の日ロ協力論と同様、欧州の安全保障を却って悪化させることになるだろう。
日欧の安全保障にとって重要なことは、欧州が中国を、日本がロシアを強大化させるような経済協力をやめること、すなわち、日欧双方が互いの隣接脅威を高め合う愚策を止めることである。
安全保障は経済利益よりも重要である。 持続的な平和なくば持続的な経済成長はないからである。
ゆえに、日欧米は中ロでの経済利益を求めず、中ロ以外の新興国にグローバル化の重心を移すべきである。 これは冷戦の復活を意味する。
このような新冷戦は世界にとってマイナスか?
否。 それは、中ロの独裁崩壊、自立的経済発展、市民への富の集積、民主化につながるので、「軍事大国の発展途上国」という中ロのいびつな状態を解消する。
自立的経済発展=経済活動の基盤たる信用の拡大=モラルの拡大であり、自立的経済発展=市民への富(力)の集積=民主化進展=官僚統制の緩和と経済活動の自由度拡大=更なる経済発展である。 つまり、自立的経済発展は、民主主義・自由経済・モラルの拡大を意味する。
これに対し、援助、資金・技術供与による経済発展は信用拡大を起こさないし、信用拡大がないゆえ、市民経済の発展もなく、市民への富(力)の集積、民主化、自由経済の拡大も起きない。 つまり、援助による経済発展=他立的経済発展は、「モラルなき独裁の軍事大国」=「軍事大国の発展途上国」を生む。
結局、新冷戦は、中ロを「自立的経済発展度(民主化度・自由経済度・モラル向上度)に応じた軍事規模」というバランスの取れた国家にするので、中ロによる対外紛争リスクを減らすことになるのです。
逆に日米欧が中ロ市場での経済利益を求め続け、中ロに資金・技術・ノウハウを流し込み続けると、中ロ経済は「自立的に」発展をせず、中ロが「モラルなき発展途上国のまま軍事大国化」するアンバランスが一層ひどくなる。
、、、、以上より結論的に言うと、
新冷戦が起きなければ、紛争リスク、世界経済の混乱リスク、ファットテール表出リスクは増大する。
新冷戦にシフトするならば、新興国へのグローバル経済拡大は(中国一極集中でなく)多様化し、世界経済は安定的に拡大するようになる。
新冷戦にシフトしても、日米欧が経済援助(資金・技術のタダあげ)を拡大すれば、中ロ以外の「独裁の軍事大国」を増やすことになり、紛争リスク、世界経済の混乱リスク、ファットテール表出リスクは増大する。
(補足) ロシアが社会主義・ソ連時代の前半に経済発展したのは何故か? それは、ソ連以前のほうが独裁度・封建度が高く、社会主義化でも国民全体で見れば経済的自由度は拡大したから。 また、第二次大戦で多くのドイツ人技術者・研究者を連れ去り、技術をタダ取り出来たから。 タダ取り(他立的)ゆえ、戦後ソ連の経済発展は一時的に過ぎず、かつ社会主義ゆえ、自由経済の日米欧との経済格差は漸次拡大し、冷戦の中で経済崩壊に至ったのがソ連の経済史。
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日本が中国の侵略主義を止めるためには、まず、軍事バランスを自国優位に戻すことであり、中長期的には中国経済の自立的発展を促し、真の民主主義国に脱皮させることである。
しかし、中国が民主主義国に脱皮しても軍事バランスが崩れれば、紛争リスクはそれなりに高くなる。 対中軍事バランスは、中国がどういう政治体制になるにせよ、中国が分裂しない限り、日本含め中国周辺国にとって永続的課題なのです。
(歴史的には中国は異民族王朝時代以外はほぼ常に分裂状態。漢民族王朝時代は漢・宋・明代を除き分裂が常態化)
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軍事バランスを日本優位に戻すためには、まず、日本経済の高成長化と、それによる防衛力強化が必要。 次に同盟強化と同盟国の増大が必要。
前者の高成長化、日本自身の国力増大がなければ、同盟は空洞化するし、対米従属化(主権低下、米中双方から食われる状態へ)していく。
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日本の高成長化は人口減ゆえ困難という見方があるが、これは誤りである(当方過去日記にさんざん書いたとおり)。 人口減は成長低下の主因でないので(生産性低迷が主因)、人口漸減でも生産性向上で高成長化は可能であるし、高成長化すれば人口も回復していくからである。
日本の低成長化は概ね1975年に端を発するが、これは次のサイクルで起きている。
引き締め的金融政策 >景気低迷 >●景気対策・福祉の財政支出増大 >公的支出の肥大化(政府債務増大。事後、増税へ) >経済に占める公的支出シェアの増加(社会主義化。規制も増大) >生産性の伸び低下 >経済成長低落 >晩婚化・少子化・人口減少 >更なる経済成長低落 >●景気対策・福祉の財政支出増大>、、、以下、同。
このサイクルの起点となってるのは、引き締め的金融政策です。
それが、上記サイクルに示すように「政府支出増大・政府債務増大・増税」を引き起こしている。
で、政府支出増大と増税(税率アップ)で、政府経由の資金循環は巨大化していく。
一方、政府「債務」が増大すると政府「資産」は増大するので(債務増大=資産増大である)、政府資産も巨大化していく。
つまり、引き締め的金融政策は、政府の資金・資産を巨大化させるツール、官僚支配を強化するツールになっている。
1975当初はオイルショック対策だった引き締め的金融政策が、官僚支配強化のツールに変質し、頻繁に行われるようになったのが、1975以降の日本の経済成長低落の主因である。
官僚支配強化(政府資金・資産の肥大化や規制強化)で、経済は社会主義化していき、生産性低迷を来し、経済成長低迷となって、人口減になってるわけです。
そうして、経済成長低迷、人口減を口実に、更なる政府支出増大=バラマキ拡大が成されるようになり、一層の政府支出肥大化、経済成長低迷(税収低迷)、財政悪化となって、更なる増税(税率アップ)が必要になる、、、まさに悪循環です。
政治経由、役所経由でのバラマキ拡大では、市場原理が働かないゆえ、その途中での税金詐取は容易になる。 変なところにバラまいてもバレにくくなる。 つまり、政府支出を拡大するほど、政・官、特定有権者の利権を増大させやすくなる。 これも上記の悪循環が止まりにくい原因である。
この悪循環を止めるには、バラマキ(政府事業)を政府経由から民間経由に変えることです。
バラマキ自体はやめないが、そこに市場原理をかませることです。
それが、利権勢力(政・官・利権有権者)の抵抗を最も少なくしつつ改革を進める方策である。
無駄な支出の削減とともに、政府事業の民間移転を進めれば、、、
1) 肥大化した政府資産は民間資産に売却されるので、政府債務が減っていく。
2) 政府債務縮小により増税の必要性は減る。
3) 金融政策が正常化する(政府事業の民間移転を制度化することで、景気低迷でも政府経由のバラマキ拡大は困難になるので、官僚たちが引き締め的金融政策を取り続ける意味が無くなる)
4) 上記1)~3)と民間経済拡大により経済成長が高まる。
5) 経済成長向上で税収増大となり、減税余地が生まれる。
6) 減税、経済成長、所得向上により国民全体が豊かになり、晩婚化・少子化は解消され、人口は回復していく。
7) 上記5)、6)によりさらに経済成長が高まる。
、、、、1975以降の悪循環が上記のような好循環に転換していく。
現在、アベノミクスでは引き締め的金融政策は一時的に緩和されてます。 超引き締め的(デフレ・円高推進政策)だった民主党政権時代よりはずっと良くなってる。
しかし、この緩和が一時的に過ぎないこと、官僚たちの目くらましに過ぎないことは、引き締め的金融政策を誤魔化すような物価統計が取られ続けていることから明らかです(引き締め的金融政策でも緩和的に見せるような、つまり、物価が大きく上がってるように見せるような物価統計が放置されてる)
(補足) 日本の官僚が自爆的な政策を取り続けるのは、各省庁が予算増大・支出増大(バラマキ増大)で自省庁の勢力拡大を図るべく、税金の分捕り合戦に日々明け暮れているためです。
国民益と必ずしも一致しない省益追求競争、税金分捕り競争が熾烈なので、国家が中長期的に低成長化し、各省庁共倒れになることまで頭を回らない。 分かっていても、日々の分捕り競争が激しいゆえ、低成長化を回避する行動は後回しになる。 民間企業ならばそういう企業は淘汰されていくが、官庁は市場原理が働かないので淘汰されず、放っておくと反国民益の税金分捕り合戦、自爆的政策が持続し、更には拡大するようになる。
国政が(国民から選ばれた)政治家主導であり、政治家に愛国心があるならば、こういうことは回避される(国民から選ばれた政治家が主導する政治=国民主導の政治、です)。 国民全体の利益を考え、国が右肩下がりになる政策にブレーキがかける政治家が絶えず出てくるからです。 普通の国はみな、こうなってるので官僚の暴走が抑えられる。
ところが、日本では、団塊世代以降、左翼運動の活発化に伴い、左翼政党の福祉バラマキがひどくなり、それに対抗すべく自民でもバラマキ勢力(土建型バラマキ。田中角栄など)が力を持つようになって、「福祉バラマキvs土建バラマキ」に政治が単純化し、政治家の無能化が進んだ。 日本では、福祉・土建など役所経由のバラマキ増大で官僚権限が拡大し、それと無能政治家(バラマキ政治屋)の増大と相まって、政治の官僚丸投げ、「官僚主導政治化」が進んだのです(これは、民主主義の形骸化、経済の官僚統制化なので、「社会主義国化」と同じ)。
また、戦後は愛国心=右翼、という間違った教育で、戦中世代以降は、愛国心の無い官僚・政治家
だらけになった。 民主主義は国民みなで国を支える制度なので、民主主義でこそ愛国心が重要なのだが、それがないがしろにされた。
官僚丸投げ政治と愛国心喪失で、右肩下がりの経済政策が持続する異常状態に陥っているのが1975以降(戦前世代から戦中世代への権力シフト以降)の日本の状況です。
戦前は戦時中を除き、自由経済と民主主義の拡大、高度成長の時代だったが、戦時中を戦前の全てと錯誤し、戦前を全否定し、不合理な左翼思想・社会主義思想に走ったのが団塊世代以降の大きな誤り。自由経済、民主主義の拡大こそ、戦前、戦後を問わずいつの時代でも国家発展(=国民益増大)の基盤なのに、1975以降はそういう合理的政策を取らなかった。
(補足) 国民主導政治は衆愚政治にならないか?
国民主導政治が衆愚政治になるか否かは一に国民次第である。 しかし、衆愚政治になって国民益低落になれば、そこで被害を受けるのは国民自身。 だから、国民主導政治では、衆愚政治化してもずっと右肩下がり政策持続にはならない。
ところが、官僚主導政治ではそれが起きにくい。右肩下がり政策が持続しがち。 国民益右肩下がりでも、特権階級化した官僚は利益肥大化、、という図式は発展途上国や社会主義国、独裁国家(要するに左翼国家、右翼国家)ではよくあることなのです。 それは、右肩下がり政策=利権肥大化政策であり、特権の不公正があるからこその求心力低下、右肩下がりだからです。 そのうえ、特権があるとヒトは堕落し無能化していく。 官僚主導政治(左翼国家、右翼国家)では右肩下がり政策と指導者・官僚の無能化が持続するのです。
一般に、自由経済と民主主義の社会では、国民主導政治が衆愚化していく可能性は低いし、衆愚政治が持続する可能性は一層低い。
なぜなら、民主主義社会における選挙の投票率はせいぜい50%程度だし、意識の高い国民は必ず選挙に行くからである。 意識の高い国民=有能な国民なので、衆愚が投票者の多数派になる状況は生まれにくい。
また、自由経済の社会では能力と稼ぎは比例し、かつそれは固定しないので、国民全体の無能化や、階級固定化は起きない。 自由経済社会では、有能な国民=政治意識の高い国民=選挙に必ず行く国民は、固定しないうえ、それなりの割合でキープされるので、衆愚政治化、階級化が抑制され、階級固定化・特権化がないから指導者層の無能化も回避される。