寿限無寿限夢ポンポコナー長久命長助さんのブログ
ブログ
東日本大震災 100枚の記録 写真特集 他
http://www.jiji.com/jc/d4?p=lat216&d=d4_quake
上記に東日本大震災の記録写真載っています、
そして昨日今日と三陸鉄道の南リアス線と北リアス線が開通しました。
まずは記憶風化させず、遅々として進まぬ復興のテンポアップを願いましょう。
http://www.jiji.com/jc/d4?p=lat216&d=d4_quake
上記に東日本大震災の記録写真載っています、
そして昨日今日と三陸鉄道の南リアス線と北リアス線が開通しました。
まずは記憶風化させず、遅々として進まぬ復興のテンポアップを願いましょう。
震災の写真や記事を見ての感想を。
私も青森に住んでおりますので、震災の当日から停電が3日も続いたときは、厭というほど不自由な生活を強いられました。たった3日だけだというのに、それさえでも、です。
何よりテレビが入らなかったために実際の惨状が視覚的には全くわからず、ラジオのみでの状況把握にかえって恐怖感を募らせたものでした。真の暗闇を知ったのも初めての体験で、息が詰まるような感覚を今でもはっきり覚えています。
亡くなられた方々の無念さを常に忘れずご冥福をお祈りすると共に復興を心から願い、日々の平穏な今の暮らしを大切に積み重ねていきたいと思いました。
ユリッチさん コメント有難うございます
http://ja.wikipedia.org/wiki/東日本大震災
を改めて目を通しましたが、本当に思いがけぬ試練の日々でしたね。
TVや電気のない生活がどれだけ不自由か、道路の交差点も
信号点かず夜になると真っ暗で車も徐行している。
計画停電と言っても我が家の所で実施されたのは三日で済みましたが、
電気使えないと今は本当に不自由感じますね。
私の子供の頃は、今のような蛍光灯もなくSLなども黄色っぽい
電球が付いていて、それだけでも満足していたし交差点でも
婦人警官が笛吹き交通整理していたな、自家用車も普及していず
自転車にリヤカー付けて纏まった荷物は運んでいたような、
電車の切符も硬券で行先を言えば係員が即座に切符発行してくれる、
三年前の地震の時には電気止まった影響で混乱に拍車かかり、
今は何から何まで電気なしにはすまないよだとと思い知らされました。
地震による津波などの直接被害ばかりか、電気に頼り過ぎの生活を
見直す動きがもっと見えても良いのではとも思います。
こんにちは。
東日本大震災から、3年と1カ月が経過しましたが、まだ昨日のことのように
思う時があります。
写真みて、改めて震災の悲惨さを感じました。
人間って忘れる動物だから、記憶も震災の悲惨さも時の経過と共に忘れていく
かもしれませんが、後世にこの震災の悲惨さを伝え続けて、もしまたこのような
事態に遭遇しても、今度は軽度な損害で済むように、防災対策と、復興事業を
推進して欲しいです。
でも今回の東北の復興をみてて日本人ってやっぱり凄いなあって思います。
中国のメディアが支援物資配給の列を見て、日本人の礼儀正しさには、
びっくりしたそうで、。。。中国じゃあこうはいかなかったんでしょうね。
私たちも計画停電などを経験して、電気や物資の有難さを改めて感じました。
電気も食料品や物資、水などの資源ももっと有益に貴重に使わないといけません
よね。
ピーマンショックさん 今日は
今、少し反省しています、ユリッチさんへのコメント読み直してみて、
大震災自身への思いが何時の間にか電力不足計画停電で不自由した思い
だけに特化して書いてしまったということです、
貴方はそんなことなく震災自身にしっかりと目を向けていますね、
ただ、やはり四川地震など被害経験ある中国などに比べ比較的
日本人全般は礼儀正しく行動できているかと思いますが、
結構避難などで留守になった家屋などでの略奪も多かったようには聞き及んで
います、その一方での被災された皆さんの復興への意欲が老若男女問わず
漲っていることが非常にうれしく感じますね、一方で国の対策の遅れは
東京湾埋め立て地区で液状化被害大きかった浦安市なども含め、
現地の人が相当切実に思われていることと思います。