jojuさんのブログ
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★経済格差と教育格差。 学力・学歴と豊かさ(=社会貢献)。
親の経済力と子供の学力の関係性は低い。
例えば、東大に入るにも一定の知識を詰め込むだけでよく、それは教科書と少数の参考書に掲載されてるので、あとはそれを詰め込む計画性と参考書を買う少額資金さえあれば事足りるからです。
お金のかかる私学や中高一貫校や塾・予備校に行く必要はなく、自学自習で済むのです(これはキャリア官僚試験や弁護士試験でも同じ)。
いわゆる学力(入試で求められる学力)は単なる暗記で身につくので、才能や先生の指導などほんとはいらない(試験数学もそう、、、詳細後述)。 暗記力は暗記するほど誰でも高まってくるので、才能などいらないのです。
しかも、日本では、貧乏な家の子でも大学まで行ける社会保障や奨学制度が整ってる。
だから、子供の学力・教育水準において重要になるのは、親の経済力でなく、子供の計画性や勤勉さです。
で、計画性、勤勉さを子供に身に付けさせるのは「親の背中」。 親が勤勉であれば、子も自然と勤勉になる。 どんな動物でも、子供は親をまねて育っていくから自ずとそうなる。
経済力のある親は勤勉だから、そういう親の子も勤勉になって、学力が高まる、、、そういう図式であって、経済力があれば子の学力が高まるわけでない。 勤勉さを身につけてない子を幾ら塾に行かせても無意味なんです(逆に言うと、勤勉さを身につけた子を塾に行かせるのも無意味、無駄使い)。
だから、怠け者で貧乏な親にいくら税金投入したところで、子供の学力は上がらない。
それをやれば怠け者な親はますます怠け者になるので、かえってバカな子が増えます。
経済力のある親ほど子の学力も上がるはずだから、格差是正だ、バラマキだ、、という論理はアホです(日本のマスコミはこの点でも逆噴射してるとこが多い)。
経済力のある親は勤勉だから、そういう親の子も勤勉になって、学力が高まる、、、そういう図式であって、経済力があれば子の学力が高まるわけでない。 勤勉さを身につけてない子を幾ら塾に行かせても無意味なんです(逆に言うと、勤勉さを身につけた子を塾に行かせるのも無意味、無駄使い)。
だから、怠け者で貧乏な親にいくら税金投入したところで、子供の学力は上がらない。
それをやれば怠け者な親はますます怠け者になるので、かえってバカな子が増えます。
経済力のある親ほど子の学力も上がるはずだから、格差是正だ、バラマキだ、、という論理はアホです(日本のマスコミはこの点でも逆噴射してるとこが多い)。
子供の学力向上に必要なのは親の経済力でなく、子供自身の勤勉さなのですから、やるべきは、「豊かになるには勤勉さが必要だ」と分からせる社会教育でしょう(当たり前すぎるけど、、(--;)。
例えば、道徳教育の中に自由経済のイロハを組み込んだらどうでしょう。
経済活動とは、より良い製品・サービスをより効率的に提供して稼ぐ活動=社会に付加価値を与えて稼ぐギブ&テイクの活動=社会貢献活動なので、本質的に道徳教育と矛盾しないのです。 将来、社会に出て稼ぐにはそういう社会貢献を勤勉に続けることが必要だ、、と分かる子が増えるはずです。
(補足) 自由経済=搾取=非道徳という論理は誤り。 自由経済では持続的な搾取は存在しない。。なぜなら、搾取されてると感じる従業員の転職、集団離職、起業も自由自在だからである。 むしろ、転職困難な社会=解雇規制がある社会ほど、無能経営者や労組幹部による持続的な搾取が容易になる。 首切り容易は採用容易と同義であり、転職容易、起業容易とも同義であり、その逆に解雇規制が強いと転職・起業は困難になるのです。
転職・起業が困難ならば、無能経営者のもとで低賃金でも一生涯働き続けねばならなくなり、一生涯同じ会社にとどまるヒトが多ければ労組幹部は労働組合費を安定的に稼げる。 かくして無能経営者と労組幹部の利害は一致し、労働者は生かさず殺さず搾取され続けることになる、、、(--;
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社会で稼ぐために学力は必ずしも必要でない。
学力がないよりあったほうがマシだが、それはマシ程度のもので必須条件などでは全くない。
持続的に稼ぐには、より良い製品・サービスをより効率的に提供し続けることが必要ですが、このために求められるのは、学力でなく、奉仕精神(気配り力)とアイデア、そしてそれらを持続的にキープする勤勉さ。
アイデアとは「新しい知識」であり、それは学校で習ったり、試験で必要な「既知の知識」ではない(試験数学や試験の知能テストも既知の解法パターンの集まりに過ぎず、それを解くのに必要なのも暗記だけなのです(--; )。
「新しい知識」を生み出すために、「既知の知識」の幾つかが必要になることはあるが、それを頭に常に詰め込んでおく必要はない。 それは必要なときに本でもネットでも調べられるからです。 だから、大事なのは、調べ方のイロハ(これは今や大したスキルでない)とどれが正確な情報かを見極める眼力、そしてその情報を使って「新しい知識」を生み出すひらめきです。
で、眼力、ひらめき力は実践で身につけていくしかなく、いわゆる学校の勉強での「学力(既知の知識の詰め込み)」や学歴とは全く別物なのです。
学歴とは、二十歳そこそこの「過去の一時点」で、「既知の知識」をどれだけ自分の頭に詰め込んでいたか、、、ということであり、眼力、ひらめき力とは無関係。
眼力、ひらめき力は、思索や分析、議論でしか磨かれない。
(本やニュースも漫然と読むのでなく、自分の頭の中で著者と議論しながら、突っ込みを入れながら読むべき。 これは本の知識を鵜呑みにする学校の「勉強」とは真逆です)
社会で求められる製品、サービスというのは非常に多様で、それに応えるのに必要な能力、スキルというのも多種多様です。 学校の勉強的な狭くて画一的なものとは違います。
社会で稼ぐために求められる眼力、ひらめき力も(顧客の需要により)多種多様なので、学校いわゆる「学力」、学歴と関係なく、誰でも稼げる素養はある、社会貢献する道はある、、、そういうことです(例:お笑いタレント、、お笑いはアイデアと機転の固まりで、それで稼いでますが、これらは学校の「学力」と同一ではない)。
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「学歴社会」では、本来、稼ぎと関係ない学歴が報酬とリンクされる。
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「学歴社会」では、本来、稼ぎと関係ない学歴が報酬とリンクされる。
学歴とは、二十歳そこそこの「過去の一時点」で、「既知の知識」をどれだけ自分の頭に詰め込んでいたか、、、それだけのことであり、稼ぐ力とはほぼ無関係である(分野によっては稼ぐ力の出発点になるが、それが全てでもない)。
稼ぐ力と無関係なことで、そのヒトの報酬を決めてしまうのが「学歴社会」なのだから、そういう「学歴神話(迷信)」がまん延した業界や社会は経済的に停滞していきます。
そういう無茶ができる世界は、本来、役所やTV・新聞など規制保護業界、官需業界に限られています。
これらの世界は自らの努力で稼がない、稼ぐ要素が小さいから、学歴主義の無茶を続けやすい。。。例えば、役所は税金から稼ぎを得ているし、大マスコミは役所の規制で保護され市場原理が働かずTV・新聞媒体の広告収入を独占できる構図になってる。
で、こういうおかしな組織(TV、新聞など)が学歴神話を社会全体に振りまき続けると、学力=頭の良さ、学力=稼ぎ、学歴=エリート、、という迷信(不合理)を信じ込む「学歴社会」になっていく。
そうなると、自らの力で稼げないダメ人間が増えていきます。
あたら学歴のあるヒトは学歴にアグラをかくようになるし、学歴の無いヒトは持つ必要のない劣等感(笑)を持ち続け、努力することを事前に諦めてしまうからです 。
そうして、学歴エリートという特権階級ができ、特権階級ゆえ、下々(??)のアイデアや稼ぎをパクッて生きるようになる。 分析力、構想力のない劣化したエリート(エリートと勘違いされた人々??。 典型は官僚、、市場原理が働かないゆえそうなる)が支配する世界になっていくのです。
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● 学歴主義的な業界で生きていても、心の中では学歴神話wを信奉しないこと=気配り力、分析力・提案力(アイデア)を磨く努力を続けること
● 運良くトップになれたなら学歴でヒトを選ばないこと。 学歴を選別条件から100%外すこと。
● 学歴社会化に資するような規制保護業界、官需業界での消費は極力控えること(役所向けの消費=税金も極力節税すること)
、、、、個人的にはこれが大事かと。。。ちなみに自分は新聞を購読してません。
● 学歴主義的な業界で生きていても、心の中では学歴神話wを信奉しないこと=気配り力、分析力・提案力(アイデア)を磨く努力を続けること
● 運良くトップになれたなら学歴でヒトを選ばないこと。 学歴を選別条件から100%外すこと。
● 学歴社会化に資するような規制保護業界、官需業界での消費は極力控えること(役所向けの消費=税金も極力節税すること)
、、、、個人的にはこれが大事かと。。。ちなみに自分は新聞を購読してません。
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問題は背中かぁ。耳が痛い。
ふむふむ。
貧相なんですか? 後ろ姿