別に「ほとけの座」の赤紫の小さな花を見つけた。何故か、この花を見るとほっとする。「ほとけの座」はよちよち歩きからの長年の花である。おしゃか様が丁度、この台座に座っていることを連想するので、この雑草の名前が付いたと言われる。この花が咲くといよいよ春がくる。
ここ最近、この日記では書けないような事が我が家には起こっている。解決策が見つからないので、時間の経過を待つしかない。考えてみれば時間の経過も解決策そのものである。その時間の経過の究極の解決策は寿命が来ることである。そうなればそこには無の世界である。いや無そのものも無い、無の世界である。そこまで耐えることである。じっと辛抱して生き抜くことである。
あれこれとせず、動かざること山の如くも、その策である。問題があっても動かず日常の生活を淡々とこなしてゆく。このような対策もこの世にはあるはずである。右に行くか、左にいくかで迷う時、問題がどのように動くかを見極めるために注意深く観察する。このような方法も当然あるはずである。しかし、何時までも動かないのではなく、動く準備を整えておくのである。
丁度、「100分で銘書」で孫子を解説している。あれこれとやるばかりが、よい結果になるとは言えない。悪い感情に左右されない冷静な行動が求められる。それには常に自己更新、自己革新が必要である。その方法は、この日記でも、何度となく出てくる学習を絶やさないことである。活字による学習、生活体験による学習である。