前者はほとんど揚げ足取りに近く批判は的外れだと思う。
基本的なことの記述は誰が書いても似たものになるからです。
問題なのは後者の画像の類似で、これが使い回しだとしたら、それをあえてやった目的は何でしょう?
それはSTAP細胞作製のノウハウが分かってしまうからでしょうか?
こういう先端分野ではパクリ防止のため、細かいノウハウ的なものを論文にあえて書かないことも成されるようだから、ノウハウ流出抑止に気を回しすぎて、画像の使い回しが起きたのではないでしょうか。
日本サイド、特に日本のマスコミがガンガンにわめいて、世界的に騒ぎが大きくなってるようですが、科学的な検証の途中でガンガンわめくのはいかがかと思う。
それによってノウハウがさらされることになったら尚更。
大体、ネイチャー側から論文不可の話は未だ出てないのです。
それなのに日本のマスコミがわめきまくって、日本側から論文撤回だの、ノウハウ詳細公開という事態になっている(STAP細胞ができた「新事実」だけで論文になるのに、、。 ノウハウ詳細公開は応用にめどを付けた時点、他国へ差をつけた時点でも良いのに、、)
STAP細胞のような画期的なことでねつ造をやるのは自爆行為だから、まだ若く先がある小保方さんがそんなことをしたとは思えない。
STAP細胞の作製が困難としても、あること自体の可能性は高いと思う。
大事なのはSTAP細胞があったかどうかで、それがあるなら画像の類似などどうでも良いこと。 実用的、論文価値的にはかなりマイナーな問題。
STAP細胞の再現ができて、日本のマスコミが再度、世界に恥をさらす事態にならぬことを祈ります。
そうなっても、ノウハウを流出させた時点でOK、小保方さんを貶めた時点でOK(学閥的な発想? 特にN●K、朝●、、叩き方は尋常でない)ということでしょうか?
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ノウハウまで含めて初めから公開したiPS細胞はノーベル賞につながった代わりに応用研究で日本先行といかなくなりました。
「ノーベル賞の紙切れ」と「応用成果の国民益」とどちらが大事でしょうか? 研究にかかわる人間、研究予算をつける人間、研究行政を担う人間はよく考えたほうが良い。
研究者は紙切れよりも社会貢献、とくに研究予算を出してくれてる国民への貢献をまず第一に考えるべきではないでしょうか?(特定業界、特定利権集団の「目先」利益への貢献でもなく(--; )
(受賞、論文数、引用数は、応用成果の国民益とどの程度リンクするか? 論文数は成果小出しの無用繁忙、引用数は学閥内の相互扶助、受賞は内輪評価になってないか? 税金や研究投資への見返りを考えるならば、不正抑止・無駄抑止を考えるならば、研究評価(査定)基準は最終収益、最終収益率だけで良いのでは??)
あと、マスコミの言いなり的な対応は、それが国民益を損なうならばやらないほうが良い。
マスコミ=国民ではない。
国民の中の一部に過ぎず、しかも日本の場合、(平均的に見て)愛国心の低いヒトの集団であることに注意する必要がある。
今回の理研、野依理事長の対応はアホマスコミに気を遣いすぎかも知れない。。。河野談話みたいだ(とりあえずの火消しのつもりが却って大火を招くこともあります)
(補足) 論文投稿中に査読者から情報が洩れて同じような成果が海外からほぼ同時発表される、ということはないでしょうか? ノーベル賞では類似成果が複数から同時に出て、両方受賞、片方だけ受賞、、ということが多いような気がします。 果たして、評価基準にすべき公正な賞なのか?? 外国人が決める賞を評価基準にするのは、国全体として研究費の最適配分につながるのか??
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ノウハウまで詳細にさらしたことで、今後の展開としては作製法の改良等がよそから出されて(論文撤回の日本は)ノーベル賞を逃す。 そうして、マスコミの大わめき、すったもんだで研究予算がつきにくくなった日本は応用研究でも遅れ、、、、ということが想定されます。
なんで、日本のマスコミは国民益逆噴射のわめき方しかしないのか、、(--;
今回の騒動に、日本の研究者同士の不毛な学閥チックなアシの引っ張り合いはないのか?(マスコミソースにはネット指摘が多いとか、、) この点も少し疑問あり。