「ねえ、あなたって、酒場で出会ったどんな男たちよりもよっぽど気が利いているわ。
服の趣味はいまいちだけど。事件の調査をしていないときには、何をしているの?」
「読書。それから、見すぎなくらいに映画も見ている」
「それだけ?」
「自分でペンを握ってみることもある」
「ああ、作家なのね。それで合点がいったわ。あなたの書く物語ならきっとおもしろいわね。
だって、探偵としての経験が活かされているわけでしょ」
「いや、ぼくが書いているのは実験小説だから。はっきりとした筋書きはないんだ」
「登場人物や、その心理描写に焦点を絞っているってことかしら」
「いや、そういうわけでもない。心理学にはさほど関心がないものでね」
「それじゃ、抽象概念をつづった詩のようなものかしら」
「いや、まぎれもない小説だ。抽象的なわけでもない。
インテリ好みの抽象芸術には我慢のならない質(たち)でね」
「筋書きも、心理描写も、概念もない小説ってこと?
どんなものなのか、さっぱりわからないわ」
「ああ、ぼくも同感だ」そう言ったあと、ぼくらは声を合わせて笑った。
「正直なところ、自分が何を話しているかもわからない」
「そうだろうと思っていたわ」
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★「ミステリガール」
デイヴィッド・ゴードン著 青木千鶴訳 早川書房 1,900円+税 P.139~140より抜粋
読んでみると、音楽・映画・文学に関する話が、小説の合間に広く散りばめられている。
文学に関しては、丸谷才一が書いているような内容にもさらりと触れており、
そういう場面では一人称で語る主人公のサムを通して、
書き手を目指す人にとって、デイヴィッドは講師になっている。
小説の進み方としては、村上春樹ととても似ていると思う。
「ぼくが書いているのは、実験小説だから。はっきりとした筋書きはないんだ」
これはデイヴィッドだけでなく、村上春樹にとっても本音だろう。
しかし、初めから決められたプロットはないにしても、
不思議と物語にはなっていて、しかも予想以上にオモロイ。
こんな感じで、デイヴィッドが小説を書く上での本音らしきものが、
随所にそれとなく書かれていて、書き手を目指す人にはとても参考になると思われる。
見ようによっては、村上春樹の手法の一部を、
デイヴィッドが解説しながら実演しているとも言えよう。