NHKの「100分de銘書」を録画して見ております。世阿弥の風姿花伝の解説です。この中で、「老後(おいたのち)の、初心忘るべからず」が丁度、今のわたしに、あてはまります。健康状態で言えば、次第に体のあちこちが、老化現象を起こし、やがては動かなるのですが、この時の気構えです。
若い人と同じく出来るはずはない。それでは、諦めろというのではなく、よぼよぼでも、何かそれなりに出来るはずである。それを工夫して考えろというのです。世阿弥は初心をこのように言っております。いろいろのことが出来るようになっても、決して慢心するなという戒めです。まだまだ、己は完成せず、自己開拓の余地が、無限にある存在ではないかと。
この風姿花伝の全体を流れているのは、ビジネスで言えば、常に自己のスキルアップをやりなさい。常に学習し、己の技を磨きなさいと言っております。
室町時代の能は、その時のエンターテイメントであり、今でいえば、映画とか劇場でみる演劇とか相撲といったものです。しかし社会に認知され確立した芸能では無く、神社の境内で、そこは野外であり、客は弁当を食べたり、酒を飲みながら、能を冷やかしたりして、野次を入れたりして見ていた時代です。それをどうしたら、面白くさせるかに腐心しました。
それには、革新性が必要でした。面白いもの、興味を引くもの(これを世阿弥は花とよんでいる。)にするには、いかに工夫するかという、常に舞台演劇に、この場合は能ですが、変化を加えていきました。これは現代のビジネス社会でも同様です。常に自己の向上が、面白いもの(花)にさせるかということです。ヒット商品(花)はどう出せるかとか、そのために自分はどのような準備や方法が必要かということです。
風姿花伝は、今から600年前の伝書です。どうやってこの事業(能)を、世に受け入れられて、発展させるかということを考えた本です。今では能は伝統芸能ですが、当時は、神社の縁日に演じる、いわばその場限りの芸能でした。客と言っても、お祭りに来ているのですから、弁当を食べたり、酒を飲み、騒いでいる場面もあったのです。
そこで人気を得るには、その人気を持続させるにはどうするかと考えたのです。そこで能を演じる役者の、日々の工夫、当日の神社の境内に集まった人が、今日はどのような雰囲気になっているかを、見極め、演技しなさいというのです。
役者の日々の修練、当日の見極め、そして面白い能(花)を、その場の空気をつかみ、場合によれば演目を急きょ、変更してもかまわないという臨機応変も大切というのです。
今のビジネス社会では、当然ですが、競争社会でありますので、この良し悪しは別として、いかに工夫するかということです。