オカルト雑誌「ムー」を手にして振り返ると、
文藝春秋が目にとまった。
芥川賞発表のとき以外に買うことはなかったのだが。
村上春樹は依頼の仕事を引き受けないと、Wikipediaには書いてある。
どうした気まぐれなのか、この「ドライブ・マイ・カー」という短編作品は、
文藝春秋12月号への書き下ろしだった。
パラパラとページをめくると終わりの方に、
三浦しをんも登場していたし、
前の方には北方謙三の「私とお伊勢さん」記事があったりして、
これはもう、買うより仕方がないという状況になった。
文藝春秋12月号の隣には、1月号が置いてある。
そこにもまたまた、村上春樹の書き下ろし短編が掲載されており、
これももう、買うより仕方がないという状況になった。
気がつくと例の如く、彼の文体に引き込まれて
どっぷりと作品の中に浸っている自分を発見する。
おかしいと思わないだろうか、彼の文体。
別にこれといってはっきりとした技があるようには思えない。
川上弘美の文体なら「ここがイイ!」と指摘できるようなものがない。
なのに魅せられてしまうのは、どーいうことなんだろう???
なんだかもう、狐につままれたような気分だ。
そういえば、村上春樹が京都生まれなのは知っていたが、
Wikipediaを改めて読んでみると、
驚いたことに「伏見区」の生まれとなっていた。
やっぱり、村上春樹は稲荷な人なんだな、と思うより他はなかった。
ということは、彼が「1Q84」でオイラを材料にするしか道がなかったのは、
伏見稲荷から村上への「囁き」なのだと確信している。
だから書いてしまったことを、そんなに後悔しないで欲しい。
オイラに対して、怒りを覚えないで欲しい。
IT談合なんぞに手を染める今どきの企業人間に対する、
神からのメッセージなんだ「1Q84」は。
人間の良心って何なのか、よく考えろという稲荷からのメッセージなんだ「1Q84」は。
知事関係者が二人も藤沢で落雷に遭って死んだのも、
神社に降臨した神からの、メッセージなんだ。
「ドライブ・マイ・カー」は、死んだかみさんの不倫相手と、
残された主人公である旦那との絡みが書いてある。
オイラはこの構成を素直に受け取らない読み方をした。
死んだかみさんが「1Q84」で、残された旦那は村上春樹、
そして不倫相手の男性は、オイラだ。