バラの会さんのブログ

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金融工学

デリバティブなどを扱う金融工学について
    


 ──
  
 金融工学は、数学的に複雑な高度なことをしている。そこでこれを見て、「おお、すごい」と思う人が多いようだ。しかし、それは勘違いというものだ。
 では、正しくは? 簡単に言えば、以下の通り。

 まず初めに、「確率解析」という数学分野があった。

   これによって、「損を最小限にする」つまり「リスクを最小限にする」ための方法論が数学的に、一応、確立された。

   ところがこれをもって、「利益を最大限にする」というふうに(あえて誤解するような形で)拡大解釈した連中が現れた。

   こういう連中が、「金融工学を使えば、数学的な方法で、ボロ儲けができる」というふうに主張した。
 しかしながら、彼らのやったことの本質は、こうだ。
 「複雑な数式を使うことで、数式による目くらましを使って、現実以上の富があると見せかけたこと」つまり、詐欺である。

   ただし、通常の口先三寸の詐欺ではなく、学術詐欺である。

結婚詐欺師ならば、口先と容貌でだますが、学術詐欺ならば、口先と数式でだます。……だまし方が違うだけで、本質的には「口先でだます」という詐欺である。

 なお、上記(金融工学の説明)は、前に述べたことの、引用( or 書き換えふうの話)である。原典は、下記にある。そちらを参照。
   
 
 

 ──

 ただし、逆方向から、注釈も加えておこう。
 「金融工学なんてまったく無意味だ。そんな学問はあっても何にもならない」
 と思う素人も出てくるようだ。しかし、これは逆の意味で間違いである。
 
 先に金融工学を批判したが、そこで意味したのは、
 「金融工学を打ち出の小槌だと思うな」
 「数字を操作するだけで金が生み出されると思うな」
 ということだった。(世間ではそう思う人が多いからだ。)
 これはつまり、「金融工学を過剰に信用するな」「期待のしすぎをするな」ということだ。
 しかし、だからといって、金融工学を全面否定するべきだということにはならない。「真っ白だ」というのを否定したからといって、「真っ黒だ」ということにはならない。

たいていのものは白黒が入り交じっているのであり、真っ白でも真っ黒でもないものだ。
 金融工学にも、そこそこの利点はある。

 「プラスを生み出す」と言うことはできなくても、「マイナスを最小化する」ということはできる。

  いわば、「馬券で必ず当たる」ということはできなくても、「馬券で損を最小化する」ということはできる。(リスクの最小化。……の箇所で述べたとおり。)

 ──

 以上のことから、次のように結論できる。
 金融工学という学問それ自体は、有益である。それは社会におけるリスクを減らすという効果をもち、社会に対して貢献する。
 ところが、金融工学を利用して、社会でなく自分が金儲けをしようとする詐欺師が現れる。
 彼らは「これで儲かりますよ」とカモを募り、金を集める。さらには、詐欺師の尻馬に乗って、「金融工学で金融機関はボロ儲けできますよ」という経済学者やエコノミストやマスコミが現れる。(たとえば野口悠紀雄や朝日新聞だ。カモに付いているネギみたいなものかも。)

 こういうふうに、詐欺師と、詐欺師の片棒をかつぐ連中とが、世間の人々をだます。
 「金融工学を使えば、数字を操作するだけで金儲けができますよ。無から有が生み出せますよ。マジックですよ。汗ひとつ書かずに、パソコンの操作だけで、大儲けですよ」
 と。彼らは、嘘をついて、見せかけの富を呈示しながら、金を集めるとする。そして、自分だけは、(見せかけの富でなく)現物の金をちょうだいする。そして、こっそり、トンズラする。……すると、あとに残るのは、「見せかけの金は実は何もなかった」という事実だけだ。

 要するに、悪いのは、金融工学ではない。金融工学を研究している学者は、たいていは儲けていない。特に、確率解析を研究した高名な学者は、ちっとも儲けていない。(ノーベル賞級:ガウス賞を受賞した伊藤清。)
 悪いのは、金融工学という学問自体ではなく、金融工学を「すばらしい学問だ」「無から有を生み出す技術だ」と吹聴した連中だ。金融工学を利用して、嘘をついて、金融工学をすばらしいものだと見せかけた連中だ。

 ただし、根源は、そこにはない。別のところにある。
 この世に「無から有を生み出す方法」などはない。なのに、あると思って、詐欺師にだまされた人々が多すぎる。
 とすれば、本当に悪いのは、人々をだます詐欺師よりは、詐欺師にだまされる人々の欲なのである。欲があるから、「無から有を生み出す方法がある」と信じて、詐欺師にコロリとだまされる。真面目な人々がせっせと汗をかいて働いているときに、彼らは机上のパソコンの操作で金儲けをしようとする。そのあげく、だまされる。
 なるほど、それで儲ける投機家もいる。ただし、投機の本質は、「無から有を生み出すこと」ではなく、「他人の金をかすめ取ること」である。
 一部の投機家はまさしくそれで成功する。しかしながら、それを真似した人々は、「自分も成功しよう」と思いながら、結局は失敗して金を失う。これは必然的だ。なぜなら、ゼロサムだからだ。全員の富の総和が一定であるときに、小賢しい詐欺師だけは上手にだまして儲けるとすれば、他の人々は、平均的には損をせざるをえない。
 結局、何よりも大切なのは、「金融工学が正しいかどうか」というようなことではなくて、「詐欺師にだまされないこと」だ。そして、そのためには、欲をもたないことだ。欲をもたなければ、「楽をして金儲けをしよう」などという馬鹿げた発想をせずに済む。

 ──

 古典派経済学者は、「各人が欲張りなエゴイストとしてふるまえば、社会は最適化する」と主張する。違う。それでもたらされる結果は、「他人の富を奪って儲けようとするエゴイストが跋扈(ばっこ)する状態」である。
 マクロ経済学者なら、別のことを主張する。「経済において大切なのは、自分の利益を増やすことではなく、まともに生産活動をすることだ。机上の数字を増やすことではなく、現実に何らかの価値ある物を生み出すことだ。他人のものを奪うことではなく、自分で何かを生産することだ」と。

 ただし、残念ながら、現在の経済学の世界は、古典派ばかりがのさばって、マクロ経済学者は隅っこの方に押しやられてしまう。さらには、あろうことか、古典派経済学者のうちの一部(マネタリスト)が「自分たちこそマクロ経済学者だ」と詐称する。
 こうして、経済学の世界でも、嘘つきばかりが跋扈(ばっこ)する。そのせいで、詐欺師的な経済学者たちにだまされて、世間では何度も、バブルがふくらんだり、バブルが破裂したりする。

 そして、そういう愚かな経済学者の言説を利用して、頭のいい詐欺師が社会の富をたんまりと奪うのだ。
 この世で最も儲かる方法は、頭のいい泥棒になることだ。そして、そういう泥棒に奉仕するためにある学問が、経済学である。
( ※ 少なくとも、現状では、そうなっている。悲しいことに。……その一方で、「経済学とは何か?」という真実を語る人は、私のように、世間の隅っこで棲息することになる。……こうして、世間には嘘ばかりが広まり、真実は広まらない。)

 とにかく、金融工学は、それ自体では何も生み出さない。パンも靴も生み出さない。金融工学は、この世界の富の総額を増やすことはない。
 ただし、金融工学で、たっぷりと儲ける連中もいる。それは、彼らがすばらしく頭が良くて、自ら富をどんどん生み出すからではなくて、彼らがすばらしく悪賢くて、他人の富をどんどん奪うからだ。
 金儲けのコツは、頭が良くなることではなくて、悪党になることだ。そのことを金融工学は教えてくれる。
   (^^);

 古典派経済学者はしばしば言う。「社会に貢献した人ほど、多くの利益を得る。だから、多くの利益を得た人は、社会に多く貢献したことになるのだ」(*)と。
( ※ しかし、同じことは、ギャングのボスも語る。おのれの自己正当化のために。古典派経済学者の発想なんて、その程度のものである。)

 ともあれ、こういう嘘(*)を語る経済学者が、金融工学の連中をのさばらせ、連中にしこたま金儲けをさせる。そして、そのあとで、連中のもたらした莫大な損失の穴埋めを、われわれが払うハメになるのだ。尻ぬぐいとして。
( 嘘つき経済学者を信じたせいだと思えば、自業自得ではあるが。)

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