元祖SHINSHINさんのブログ

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文体に関する知見

(略)ある時、中山義秀の小説を読んだら、「碑」だったかな、あれは。

硬質な筆で、簡潔な文章で、これはいい文体だ、こういうのでいけるんじゃないかなと。

初めのうちはそういうものを、お手本ではないけれども、頭に浮かべて書いていた。

そのことをあとで私は発表した。そうしたらその後、直木賞の選考委員会の会場の「新喜楽」のトイレで、偶然中山さんと隣り合わせになった。連れ小便しながら、中山さんが私に

「きみね、僕の文体を真似してるというけれども、全然自分のは役に立たないよ」と。

「まあ、一つの踏台にはなるけれども、作家というものは、その踏台から自分の文章を発展させる」

といった意味のことをいったわけね。

 

私はね、芥川龍之介の文体はね、非常に素晴らしいと思う。

ところが菊池寛のそっけない文章の方が、芥川よりもじかに気持ちの中に入ってくるわけね。

芥川の絢爛たる文章は、非情に技巧的だけれども、なにか文章が遮ってね、胸を打たない。

知的な、理知的なものだけどね。

だから彼が下書きにして書いた「今昔物語」や「宇治拾遺」にしても、ああ、こういうような見方があったのか、こういうつくり替えがあったのかという参考にはなる。

けれども、若い時は芥川の文章は素敵だと思ったけれども、だんだんそれが鼻についてきて。

あれは短編の文体なんだ。芥川があの文体で長編を書いたら、これは読めやしない、読んでもしんどくてついていけない。

 

それは、三島由紀夫についてもいえることなんです。

例えば「豊穣の海」、あの長編を三島流短編の文体で読まされるので、しんどい。

あの中の、大和の大神神社にこもる話ね。これは実際に彼が大神神社にこもって書いたメモがある。

それと本文を読みくらべると、ほとんど同じなんだ。あれだけ文章的にもくわしい下書きを取れば、

本原稿を書く時は、もう感興がなくなると思うんだけどな、私などには。

メモは要点だけのほうがいい。

だからね、三島の文章は短編に特色を発揮する。初期の短編はみんないい。晩年近いものでは「橋づくし」がいい。ああいう古風な世界が、三島の文体に奇妙な効果を出していると思う。鏡花ではないんだ。(略)

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この節をまず最初にと思って読んだら、とても参考になることが書いてあった。

こういうことを知りたいと常日頃から思っていたので、目にしたとたん即入手した。

 

★「山崎豊子 自作を語る 人生編」

  山崎豊子著 新潮文庫 H24.1.1.発行 490円+税

  P.180~181 「小説ほど面白いものはない 松本清張×山崎豊子」より抜粋

  元記事は、「小説新潮」1Q84年3月

 

この節の冒頭では、松本清張から山崎豊子に対する質問への応答となっている。

山崎のデビュー私小説である「暖簾」を編集担当したのが、なんと小林秀雄となっていた。

 

最近とみに文学オタクになりたいと願望を強めているオイラには、

こういう事実がなんとも貴重に思えて、たまらない。

 

それに大神神社は、震災の直前に、東北から奈良へ家族を引き連れて移った

オイラの霊能者がいるところで、意味深だ。

彼は今、元気なのだろうか。

 

そして、この連作2冊に書かれていることは、

これから書き手に回る挑戦をしたい向きには、垂涎ものの内容に違いないのだ。

 

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