堅実さんのブログ

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平凡の中の非凡(1) 9月13日(金)20時41分

 何か新しい方法はないか。どうすれば、この生き方が急に変化するか。明日は、違った生活になるか。こんなことを考えて、あれこれ試行錯誤してきた。今思うと、地道に生きるしかないと考える。わたしには、これしかないのである。それを我慢して、続けられるか、途中で投げ出すかである。続けることは、つまらなく、忍耐のいることであり、それは己の欲望を抑えることでもあり、周りから見ても、地味であり、採るに足らない生き方である。全く関心も持たれない、どうでもよい、参考にしたくない生き方に映ることである。

 

 今はかなり、今までの生き方が冷静に見られるようになった。失敗ばかりの生き方だった。とても目標にできるものでもない。そこら辺の、よくこの日記でも書いているソコラテス(ソクラテスではない。そこら辺で、本人は真面目にこれがいいと言っているので、ソコラテス)である。

 

 しかし考えてみると、人間、一部の人、それも10万人に一人でるかでないかの確率を除いて、ほとんどの人が、大したこと、あるいはこれはと思われることしていないのが、現実である。

 

 だから、凡人は平凡のことをやれば、それでよいとも思う。しかしここで、これからの生き方として、考えてみることがある。それは平凡のこと、つまらなくて「あくび」の出ることを、馬鹿になり切って、続けられるか、途中で投げ出すかである。

 

 例えば、健康には「早寝、早起き、朝ご飯」という。こんなことはわかり切ったことであるし、今更言うことでもない。しかし、これをやってみることは、大変努力の要ることである。怠惰の気持ちが出て、その怠惰を実行するからである。

 

 この話を始める前に、こんなことが浮かんだ。それは授業の科目の単位で学生が先生に、「どうして単位がとれないのですか。」先生答える。「出来ないからだ。」これは単純なことであり、わざわざ持ち出すこともないのである。しかし、ここには重要なことがある。単位が取りたければ、試験に備えて、勉強すればよいだけのことである。この単純な、勉強をすればよいということから、この話にもなりにくいことから、この平凡が出てきたのである。

 

 そして見回すと、この単純なことを、大抵の人は実行できないのである。話もつまらないし、実行することもつまらないし、つまらないことだらけだからと思う。

 

 この努力が要るが、平凡な生活をできるかどうかで、10年後の生活、20年後の生活はその人の人生で大きく変化していると思う。

 

 先に「収入の八割で生活を」という題で、日記を書いた。自分の会社を潰して、今は、この生活の見透しの出来ない人からである。もし、その人が収入の八割で生活をしていたとしたら、少しは今の苦境が緩和されたことだろう。こんな、分かり切ったことである。

 

 今、わたしは、健康を第一に考えている。それでも何時か死ぬのであるが、平凡なことを平凡に出来れば、今までの生活からの結果として、予定死亡年齢を5年先伸ばしに出来ると考えている。こんなことが平凡の中の非凡ということになるのだろうか。

 

 

筆者、注。 収入の八割の生活をでも、平凡の中の非凡でも、言葉にすると、うまく表現できません。なんなのかと思います。言葉は単純です。しかし、思っていることが表現できていないのです。)

 

 

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