堅実さんのブログ
何か生きがいを(6) 8月30日(金)10時51分
どうも、このような、知りたいという欲求ばかりで、のんびりできない心の状態は、異常とも言える。例えば、酒を飲んで、ぼーとしていると、後になり空虚になるのである。カラオケに行き、歌を歌っている時間は、わたしには浪費の時間となってしまうのである。そして空虚感に襲われる。これは欲求が偏っているとも言える。しかし、これは、さほど、社会に対して迷惑をかけているのではない。犯罪で逮捕されることではない。自分一人のことだけである。だから、あとは諦めて、そして、この「かたわ」な自分を、よしとするしかないとも思う。
それでは、自身が特になにか優秀なものを持っているかというと、そうとは言えないのである。わたしが若かったとしても、学力レベルでは、例えば東大には、どうしても入学出来ないのである。いくら頑張っても、地方大学の、その地方で名の知れた学校に何とか、入学できるのがやっとのことである。これがわたしの学力レベルである。
この程度なので、元々脳の機能が、上出来ではないので、これと思うことが身についていない。これは、いい加減な、でたらめな性格でもある。片方には向上したい欲望があるのに、怠ける気持ちもあり、この間を常に揺れ動いてきた。真剣さがないとも言える。しかし、時々これではいけないと思い、本を見てきたのである。遊び半分、学習半分と言うところか。
従業員として労働している数十年の歳月では、さほど時間がとれないし、子供が小学生までの育児期間でも同じだった。それでも何かに追われるように時々読んでみた。哲学者でもない平凡な人が悩んできたのである。しかし、何にも身についていないというのが、結果となっている。これを考えてみると、時間だけは費やしたのに、空白の時間だったと思える。
しかし、その空白の何も無いことをやったという実感は、少しはある。全くないということではない。こうなると、わたしの生きてきたことは、殆ど何もないことをしてきたことになるが、しかし少しはしてきたことになる。これは少しはしてきたと、自分に言い聞かせないと、自身が幻滅することを、慰めるために言っているにすぎない。
そして、その先はどうなっているのかと思い考え、こう思うことから学習し、また怠ける生活である。この繰り返しでした。好奇心と、その先への探索でした。そして常に行き詰り、迷路の中を右往左往しているだけでした。しかし、これでよかったと思っている。これ以上のことは、人生やり直しても同じことをやると思う。人生やり直してもわたしにはこの程度のことしか出来ない。
この程度のことしかやらない今までで、それは、このことが、生きてきた証であると思える。失敗はしたが、行動してよかったと思っている。結果のわからない、ギャンブルでもあった。それでもあえて挑戦してみた。逃避したり挑戦したりでした。
そして残りのわずかな、時間をどうするか。おそらく相変わらず、下らん事をしているだろう。その先はどうなっているのかということで。これしかできないが、そして世の中では、低レベルのことしかであるが、それでもこれが生きていることだと思っている。
(天の邪鬼君が登場。おい、おめえ。そういうのをソコラテスと言うんだ。ソクラテスは古代ギリシャの哲学者、ソコラテスはそこら辺で、つまらんことを言っている、くだらんやつだ。だからソコラテスと言うんだ。おめえのことだよ。第一、おめえよー。おめえには真剣さがねえで。何だい逃避だ挑戦だなんて、もっと死のもの狂いでやんなくちゃーな。だからおめえは、その辺の、くだらん奴でソコラテスと言われるんだ。天の邪鬼と世間では言われている俺だって、こんなことを言うのは、馬鹿馬鹿しくなってきたぜ。あーあ、幻滅。酒でも飲んで、そのまま寝たほうがいいぜ。)
-
タグ: