終戦後の北海道北(1) 8月27日(火)10時44分

堅実さん

25年8月22日の、日経新聞、春秋からです。68年前のきょう(22日)、樺太からの引き揚げ者を乗せた小笠原丸が「国籍不明の魚雷」の攻撃を受け北海道沖で沈んだ事件のことだ。同じ日、やはり樺太から引き揚げてきた人たちを乗せ航行していた第二号新興丸と泰東丸という船が、魚雷による攻撃や砲撃を受けて、沈没したり、大破した。

 

「三船殉難事件」と呼ばれる。死者、行方不明者は合計で1700人を超えた。事件の1週間以上前に、日本政府はポツダム宣言を受諾し降伏すると連合国に伝えていた。泰東丸の場合は攻撃を受けて白旗を掲げたのに、無視され沈没に至ったのだという。どれも旧ソ連軍の仕業だと見られている。(以上です。文面は変更してありますが、内容は同じです。)

 

月28日から9月5日にかけてソ連軍は北方領土に上陸し占領した。この占領は現在まで至る。

 

これに7月の日記(共産党批判)からもう一度掲載します。ソ連軍は、終戦前後、つまり8月8日から、中国東北部、つまり満州国に攻め込みました。それと同時にアリューシャン列島を南下しました。つまりソ連軍は2つの方向から日本に攻め込んできたのです。この時には米軍は、沖縄を占領しておりました。そしてソ連軍は北方4島まで侵攻してきて、ここでストップしたのです。

 

ここで、記憶に残る新聞記事があります。昭和40年頃(41年かも)の読売新聞のシリーズで掲載された記事です。秋だと記憶しております。それは8月の20何日頃、アリューシャン列島の空で戦闘機の空中戦があった記事です。これは旧日本軍の戦闘機と、ソ連の戦闘機の戦いかもしれません。島民が、戦争が終わったのに、何故かと不思議に思った記事です。

 

 

 

堅実さんのブログ一覧