この生きがいというが、それは生きる希望であり、目標を持つということである。はっきりと生きがいと認識していなくても、何かやってみて安心するものがある。目標とはいかなくても、生活行動の中で、気分のよくなるものである。これが生きがいというものだろう。
わたしは、最近、こんなことを意識するようになった。それは今までの生活は、生きるために、自分というものが職場では無かった。これはほとんどのサラリーマンに言えることである。口の無い自分であり、自ら言うこともできずに我慢してきた。言いたい放題言っているのは、自民党の麻生議員とか、ほんの少数であると思う。(こりゃ、失礼。)
そして今、仕事から離れて、フリーな生活をしているのである。これこそ、それでも限られてはいるが、自分の自分なりの生活が出来るのである。これを、少しでも多く、満喫したいと思うのは、自然に発生することである。そうなると、「小人閑居して不善を為す」という生活はしたくないと思う。時間が大切である。それには、自己をここで律する生活が求められる。これはフリーだからこそ、出来ることである。生活のための仕事に追われていれば、自ら律するのではなく、会社や組織に律する、つまり服従していたのである。ここが、サラリーマンの律すると、フリーになってからの律することの違いである。
(ここで、天の邪鬼君に登場する。おい、お前、そんな風に自分に厳しくしないで、「小人閑居して不善を為す」の生活の方が楽しくていいぜ。)そうかもしれない。ただ、のんびりとしているだけが、余生の生き方であり目的かもしれない。しかしそれでは、この世に生を受け、その生を浪費するのは、いかにももったいないことだと今は感じている。そして人として生きることは何だと、考えている。(この人として生きてゆくという目標は、いかにも最もらしいが、怪しいものでもある。それはこうだと言えないからである。)ここでは、死ぬまでの間、痴呆になるまでの間、考えて、考えてみようというものである。
自己開拓や、自己実現は、今までそれ程熱心では無く、また子供の幼少の頃の育児の期間、出来なかったことでもある。それでも、飛び飛びに、気が付くと続けていた。何かが欲しかった。このままでは、自分は駄目になるという強迫的な思いがあった。大体、勉強は嫌いだった。それより体験的知識に関心があった。この何とかしなければと思うようになったのは、高校3年の秋ごろからだった。おぼろげながらの不安があった。青年期特有のものだと思う。揺れ動く心であった。そして訳のわからないまま、何でもよいから知識が欲しかった。友人の見ている本が気になった。この頃から高校の先生の言っていることが素直に聞けるようになった。
不安との戦いが始まった。訳のわからないまま、勉強したかった。そして、その後も、何かにつけて学習している。成果は無いが、続けている。これは今までの延長で、死ぬまで、やっていると思う。なぜなら、今までやってきたし、それ以外の事を、特にやろうと思わないからである。