堅実さんのブログ

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人生に駄目はあるか 8月15日(木)10時17分

 44年以上前に、左足の甲に、鉄の塊を落とし、その後遺症で時々痛む。また13日に、自転車で足をついた時、激痛が出た。ねんざである。またしばらく動けないと思う。この痛みは1年の間に時々ある。まったく、どうしようもない人生だなと思う。しかし、はっと思ったこと。それは「人生に全く、駄目なものは果たしてあるのだろうか」である。逆説的な問いである。答えは無いと思う。例えば、わたしなら、この経験を何らかの形で、この社会に問うことはできる。そうしてこの事を参考にしていただける。こう思う。

 

 すべて人生において失敗だったと言えることは、有るかもしれないが、少ないのではと思う。また、そうなっていない人のために、このささやかな日記を見ていただき、参考にして、失敗を少なくしていただけたらと思う。

 

 ここで考えるべきは、この後、「どうしようも無い、取り返しのつかない事は急ぐべきではない」ことである。例えば、株式で無理な投資をしてその後、取り戻せないこととか、覚せい剤や麻薬に手をだすとか、暴力団とつき会うとかは絶対に止めることである。また、取り返しのつかないことは止めるべきである。例えば「うつ病」の人でもその人が生きているだけで、家族は安心するものである。家族との絆を考えて生きるべきである。

 

 地味でもよい。健康に留意して、生活を送るだけで、その人生はうまくいっていると、わたしは言えると考える。例えば、わたしは、常に収入の8割で生活してきた。残りの2割は貯蓄をしてきた。話がそれるので、これはおしまい。

 

 車の運転で言えば、前方7割、後方3割の注意が必要と言われている。過去の3割を考えながら生きれば、未来の7割は、何とか我慢して生きれば、生きられると思う。自分自身そうして生きてきた。我慢から我慢への生き方でした。そうです。「生きてりゃいいさ」です。つらい事ばかりでも生きていれば、いいことは、必ず来ると思う。

 

 昨日テレビの録画で「24の瞳」を見た。最後に女先生が、盲目になった男の生徒に(この時は成人している)、「生きているだけで幸せ」と言っていた。ああ、今考えていることと同じことを言っていると感じました。必ずいいことはやってくると思うことである。そして死にたくなくても、死は誰にでも訪れるのである。仏道では「生かされている」ということをよく言う。これは死に急ぐなという警告であると思う。

 

 今日は、終戦記念日であり、お盆でもある。この日記にも書きました。「横手曹長」や「聞いた特攻兵」は意志とは係わらず、軍の命令で死ななければならなかったのです。また日記の「前橋空襲」で亡くなった人は沢山おります。無念だと思います。生きたくても生きられなかったのです。それを考えると、生きていることの有り難さを、感じます。

 

 生ある命を、無駄に使わないようにしたいと思う。ここまではよい。さあ難しい課題、どのようにが待っている。

 

 

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