これは、高校の先生や中学の先生から、また母親から前橋空襲を聞いた話です。(ネットの百科事典ではB29が、92機飛来している。)前橋市の規模からして、92機は、誤りではと思う。数機ではと思う。
B29の空襲では
1 始めは照明弾を投下する。これは中学の先生から聞いたのですが、距離は不明ですが、新聞の字が読めたと聞きます。
2 次に、粘着性のある油を撒く。よく雨が降ると聞きますが、雨では無く、油です。民家の火災を考えたものです。
3 次に焼夷(しょうい)弾を投下する。この焼夷弾は数十本が束になって投下され、その束が空中で丁度、打ち上げ花火が開くように広がり(中心に爆薬がある)火がついて落下する。この焼夷弾は長い円筒形の筒状のもの。
4 前橋カトリック教会には、落ちなかった。キリストの十字架が見えたと思われる。この教会は現在でも、ミサに使用されている。
5 この焼夷弾は、わたしの生家の畑に2発落下しました。風呂桶くらいの穴が2つ空いたと聞いております。この穴の大きさからすると爆弾の可能性もあります。わたしの爺が、それを掘り出して、「じゅうのう」=金属製のちりとり、を作ったことを聞いております。かなり危険な事でした。これが爆弾ならどうなっていたか。その「じゅうのう」で、遊んだことがあります。20×25くらいです。これに木製の柄をつけたものです。
畑に落ちた焼夷弾は、前橋市から10キロくらい離れた距離ですので、間違って落としたことも考えられます。それと落下数が束になっていたなら、火災をおこした農家の数は1軒ではすまなかったはずです。数本ではと思います。近くの農家が1軒だけ、火災を起こした。
前橋空襲は終戦10日前の1945年8月5日午後10時半ごろに始まった。焼夷(しょうい)弾などが次つぎと投下され、中心街は焼け野原に。死者535人。被災家屋1万1518戸という甚大な被害となった。(毎日新聞8月6日、ネットより)