堅実さんのブログ

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いまを生きる(2) 8月2日(金)20時22分

  これ等のどの人も、今を一生懸命に生きようとしている。生活環境に幼くして恵まれず、あるいは心に傷を残しながらも懸命に生きてきたのである。それでもなんとかして生きようという気持ちが大きい。今までは、幸福という気持ちは微塵も無かったと思われる。それでも、生きるんだという底力さえ感じとれる。そこにはある迫力さえ感じられる。言葉にならない気迫を感じる。

 

果たして自分はどうだろうか。五体それ程、悪くないのにこの人達から考えると、どうだろうかと問う。そしてどうも、この世間には良い境遇にいるにも係わらず、不平不満を言っていることが多過ぎる様にも思う。あるいは、その人にとって、あまりにも良い社会なので、満足しすぎて、ただ、のんべんだらりと、その日を送っている人が多過ぎると感ずる。例えば、7月の参議院選の投票率が52パーセントというのは、生活に満足して、社会のことは、考えない人が増加していると思う。豊かな日本社会である。そしてそこには、今を一生懸命に生きるということを忘れているのである。工夫も努力も少ない日本人。

 

このことはいずれ世界から「しっぺ返し」が来ることすら考えられない程、今が幸せなのである。幸せ過ぎて「小人閑居して不善を為す」ということではないか。これは間違っているとは言えないが、平和を享受しているのだからそれだけ恵まれているのだが、しかしこのままでは、この日本の将来が危うい。その時になっては既に遅いのであるが。こんな事を、この発表した人達は、わたしに言っているように思える。せめて一日、一日を大切に生きたいと思う。

 

 それでは更に追及して、その大切とは何かである。静岡の白隠禅師の、像か肖像画を、何かで見たことがある。その見る人を睨みつけた形相はすさまじい。このくらいの気迫がないと、少しもわからないと思う。自分を厳しく律する生活。甘い考えではとても駄目だと思うが。一日を大切とは。

 

その後、あれこれと考えたが、自分に一番合った大切さがある。若い頃の時間の浪費は、それは勉強であり、学習でもある。しかし年老いた時間の浪費は、学習でもなく、ただの浪費である。朝起きて、夕方の来るのを待つような生活は、したくは無い。時間が無いということを常に意識して、残りの時間を使いたい。さらにこのことを追及したいが、今はそれ以上のことは分からない。

 

禅問答にある。「どうすればよいですか。」「朝飯は食ったか。」「食べました。」「それなら、お茶碗を洗いなさい。」このことを、丁寧にこなしていくことが、一つの答えかもしれない。

 

 

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