ふっと思うことがある。心の支えである。支えは支持でもある。生きることへの自己への応援であり、生きがいであり、生活習慣でもあり、趣味でもある。
例により、今日も日経新聞を1時間程読む。目が疲れて、後は午後である。女房はこんな生活を見ていて、趣味が無いという。囲碁とか将棋とか、グランドゴルフとか、世間一般に多くの人がやっているものが、女房には趣味だと思っている。
これはとんでもない考え違いである。釣りとかカラオケとか、何か多くの人がやっているものだけが趣味でないことは、わかりきった事である。それでも多くの人がしている事が趣味なのであると、思っているのであるから、もうこれは話しても無理だと思う。
メタ理論というのを、過去習ったことがある。それから先の、人の考えでは及ばないさらに、先の集合があるのではと考える理論である。そんな難しいことでは無いけれど、どう生きるべきか、この世はどうなっているのかと、調べ考えることも趣味であると考えるが、女房にはこれが、「ぼー、としていて、何もしていない」と見えるらしい。まあ、人さまざまである。
しかし人には、何か存在を認めてくれる何かがないと、絶望ということになるのは間違いない。やはりこんなことは防ぎたい。おいしい料理を食べるとか、スイーツを食べるとか、おしゃべりをするとか、何かと、気をまぎらわす何かをしていて、その日を送っているのは人の生活である。
健全な精神に健全な肉体があるのは、明らかに間違いで、健全な肉体だからこそ、健全な精神(心)があるのは、誰でも納得できる事だろう。しかしどちらも言っているのは人である。そうなると生きる上でだいたいで良いということになる。
心の支えというけれど、この老人にも健康を維持して生活することが、心の支えということになるかも。そして少しは、気のきいた、文を書きたいと思っているが、これが心の支えになるだろうか。また、目が、疲れちやった。 (お粗末)