魅力的な相場?が続いている五月ではありますが、これは相場とはぜんぜん関係ない眩暈の詩。
いつも思い出すのが五月を過ぎてからだったりしたので、‥あ、今だ五月。
高校の教室の匂いを思い出す。眠い教室の窓から眺めた、大きな緑の樹々も。
四月は残酷な月だ、という詩はエリオット?ので、イギリスだったか?で
日本では与謝野晶子があの時代にものすごい詩を書いている
声に出して言ってみると、ココがココではなくて、ドコかで
今が今でなくて、いつかのような
眩暈の五月がやってくるぞ☆
五月礼讃 与謝野晶子
五月は好い月、花の月、
芽の月、香の月、色の月、
ポプラ、マロニエ、プラタアヌ、
つつじ、芍薬、藤、蘇枋、
リラ、チユウリツプ、罌粟の月、
女の服のかろがろと
薄くなる月、恋の月、
巻冠に矢を背負ひ、
葵をかざす京人が
馬競べする祭月、
巴里の街の少女等が
花の祭に美くしい
貴(あて)な女王を選ぶ月、
わたしのことを云ふならば
シベリアを行き、独逸行き、
君を慕うてはるばると
その巴里(パリイ)まで著いた月、
菖蒲の太刀と幟とで
去年うまれた四男目の
アウギユストをば祝ふ月、
狭い書斎の窓ごしに
明るい空と棕櫚の木が
馬来の島を想はせる
微風(そよかぜ)の月、青い月、
プラチナ色の雲の月、
蜜蜂の月、蝶の月、
蟻も蛾となり、金糸雀(かなりや)も
卵を抱く生の月、
何やら物に誘られる
官能の月、肉の月、
ヴウヴレエ酒の、香料の、
踊の、楽)の、歌の月、
わたしを中に万物が
堅く抱きしめ、縺れ合ひ、
呻き、くちづけ、汗をかく
太陽の月、青海の、
森の、公園の、噴水の、
庭の、屋前(テラス)の、離亭(ちん)の月、
やれ来た、五月、麦藁で
細い薄手の硝杯(こつぷ)から
レモン水をば吸ふやうな
あまい眩暈(めまひ)を投げに来た。