先週の4日、母の命日の日に長男がやって来た。3年前にアメリカ留学から帰国し希望の職種に決
まるまで会話らしい会話をしないままでいたので、久しぶりに、そう、留学する前の日以来になるだろ
うか?ビールを酌み交わしながらゆっくりと会話をすることができた。
180センチを超える身長だからではなく、大学で専攻していた都市空間学を生かした会社で1兆円を越
える大プロジェクトに関わっているからでもなく、息子のことを、何故か、何故か不覚にも大きく輝い
て見えてしまった。自分や敵と競争して闘っていることの充実感や仲間と成功を共有した達成感を目を
輝かして話している息子に、嬉しさもあるのだけど久しぶりに男としての血が騒ぎ、羨ましいという
か、嫉妬?、そう闘っていることの男の嫉妬を感じてしまったのである。息子のことをカッコ良く
見えてしまう、そんな時が本当にやってくるとは・・。男の色気、そんなものがあるとしたら自分への
自信と他者への優しさや思いやりを身に宿した時に醸し出す馨りのようなものなのかもしれない。
長男の今の年齢の時に僕は長男の父になった。果たして僕はどうだったのだろうか?と東京にいる妻に
電話をした。すると妻はさらりと『貴方の気のせいよ、それに昔のことは忘れたわ』、と母にとっ
ていくつになっても子供は子供なんだね、それと夫は妻に忘れられないようにいつまでもカッコよくい
ないといけないんだなぁ~って^^
お互いの親の介護の話と会社の話、ボランティアの話の後、最後に、『そういえばこの間ロト6の3等
が当たったからみんなで歌舞伎を見に行くわね』って、おいおい、あれだけ為替でもうけたくせに、ま
だ運が残ってるのかい?母は強し!女は強し!