私が株を初めてやり始めたころ②

pzp9さん
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先ほどの続きです。高校3年のころ、親父は大学へ行けと言いました。自分は15から会社務めして、

主任までいったが、その先は試験があり、上に這い上がるには学がない。熟練で仕事はできるが偉くなれない。大学出たばかりの小僧に使われて、悔しさを味わったそうです。

私も同じ会社に勤める気があれば、多分従ったと思いましたが、親の敷いたレールに乗りたくなかったのと、規則正しい生活がイヤだし、私には出来ないと思ったのと、繊維会社ではこの先、先細りになると思ったのです。これからは、電気関連が伸びると思ってましたが、ハードウェアー、ソフトウェアの技術者になる頭無いので、高圧、低圧の電気関係に決めました。

親父に大学行く金出してくれるなら、その金で電気の専門学校へ行かせてくれと頼み、東京蒲田に寮生活付きで入らせてもらいました。

2年間かなり投資してもらいました。

その頃、パチンコ屋は電動式に変わり始めてました。吉野家にもお世話になりました。

高校卒業にころは卒業生の数の倍以上の求人があったのに、私が卒業の頃には、今と同じ就職難、家電全般学んでいたので、ナショナルに入社するつもりでしたが、長男なので家から通えるところで探すと茅ヶ崎の冷蔵庫工場が一番近かったのですが、それでも遠い。

学校の就職担当者が、「もし将来独立考えているのなら、中堅の家電屋さんに勤めたら」とアドバイスしてくれた。サラリーマン出来ないと思っていたし、場所も小田急電鉄の沿線でJR連結スムーズだし、

通勤時間も1時間位なので決めました。

祖母の子供は、4人。私の親父サラリーマン、男二人は自営業、長女は呉服屋さんに勤めてました。

祖母は、「通勤しないで、他人の飯を食ってこい。住み込みで働け。」というのです。

長男で孫の中で一番早く生まれて、どこに行ってもかわいがられ、世間知らずのボンボンの私に、親ではなく{おばあに}引導を渡されました。

自分の子供二人も昔でいう丁稚奉公で一人前にした実績に裏付けされた助言には、説得力があり、

私は従いました。{おばあちゃん子でしたので}

3年目に辛くなってやめようと実家に帰ったのですが、おばあはその気配を察して「男が一度決めたことは歯を食いしばり一旗揚げるまでは帰ってくるな。」と一括。

あの時「いつでも帰ってこい。」と言われたら今の私はなかったと思っています。

可愛い孫に厳しく接してくれて感謝です。

まだ、私には孫はいませんが、同じ立場になった時、祖母みたいな態度は取れる自信がありません。

凄い人で尊敬する一人です。

その頃祖父に株が¥900位になっていたので一旦売ってしまったほうが良いといいました。

¥15の株が¥900ですから・・・でも祖父は「親父にくれてやるつもりだから売らない。」

と言ってました。

任天堂バブルの入口でした。

 

つづく。

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