ちょいかぶおやじさんのブログ
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やっぱりCOMPANYとプロフェッショナル
株主の忠実義務の問題を考えていたら、娘の学校の新学年のクラステーマの合言葉がCOMPANYだという話を思い出しました。
娘のクラスは昨年の合言葉は“Be Cool”でした。かっこよくしよう、ということです。自分の意見を堂々と発言することはCoolだよね、他人のものを無断でつかったり、他人をからかったりするのはCoolじゃないよね、といったことを子供たちに考えさせるための合言葉です。善悪や道徳というと硬いですが、Coolというととっつきやすいし、目指すことに抵抗感を生まない。娘のクラス担任、さすがです。
新学年のクラス担任も昨年と同じ先生で、今学年の合言葉はCOMPANYということだそうです。先生の説明では、「普通は会社という意味だけど、ここでいうCOMPANYとは仲間という意味です。CはCool、OはOnly One、MはMiracle、PはPride、AはAttractive、NはNew、YはYeah、ということをそれぞれ表す。」ということだそうです。社会の一員としての自覚を促し現実の矛盾を意識させられ対応する練習ができるのは塾ではなく学校本来の目的の一つですので、とても良い合言葉だと思います。
COMPANYの語源は、COM+PANで、パンを共にする、ということで、仲間だそうです。会社というと、Corporation(法律用語で法人)、Firm(経済学用語で企業)などの言葉を浮かべますが、やはり、もともとはCompanyで、その後、有限責任だということで、Co.Ltd.ということになったのが、会社の歴史なのでしょう。
会社に集う仲間というのはどこまでの範囲をいうのでしょうか。会社の株式を保有する株主を法律上は社員と呼んできましたが、株主も会社の仲間なのでしょう。そう考えると、会社の仲間としての株主が、会社の重要な意思決定に関わるのであれば、会社のことを第一に考えて、株主権を行使しなければならないのは当たり前のように思います。株主の信認義務などと、難しい言葉など必要のないほど、単純な考え方なのだと思います。
しかし、現実はそうなっていませんし、そう単純ではありません。個々の株主は自分の私利私欲のためにより大きなリターンを求めて行動しています。投資リターンが高いという結果が大事で、そのプロセスややり方は問わない、という感覚は、ことカネのことが絡むと強く前面に出やすくなります。儲ければよい、という単純なことではなく、儲けることと同時に儲け方も大事だということはどうしても建前論として受け取られがちです。大きな儲けの可能性に目が眩んで儲け方でつい妥協をしてしまいがちです。ひどい儲け方でも大きく儲かれば勝ち組だ、という考え方に押されて、「ひどい」ということの定義を単に法律や法令などの文言で規定されていることに明確に違反しなければよい、という解釈に基づいて行ってしまい誘惑に駆られてしまいます。株式投資で儲ける人とそうでない人の格差は大きなものになってしまいやすいので、この誘惑に打ち勝つのは株式投資の場合かなり大変だと思います。
個々人の私利私欲に基づく行動が市場の見えざる手によって調整され、結局はうまく経済や社会は回る、という考え方からすれば、儲けに美学など必要ない、ということになるでしょう。しかし、市場が成立するためには「信頼」が必要です。山岸先生流に言えば、「正直者が馬鹿を見ない信頼が担保される仕組み」が市場経済や社会が成立するためには必要なのであります。その仕組みの基本形は自己規律(自主性)と規制(外部からの強制)の2つですが、これら2つのバランスをどうするか、が問題なのでしょう。
東京都千代田区が路上での喫煙を禁止しましたが、そのときの標語が「マナーからルールへ」というものでした。株主が忠実義務を自主的に果たすことを期待することなど、夢のまた夢、ということでしょう。日本人の意識の振り子が、これまで滅私奉公を強いられてきたために余計に利私滅公に振れてしまっているのでしょうか。政治の世界も、世論を反映し、政治論争ではなく政局運営のための議論や人事権の濫用に終始しているようです。ある政治学者が、これからは「活私開公」の精神(あるいは「活私資公」の精神)でいかなければならないといっています。まさにその通りだと思いますが、その実践には相当に鍛錬された精神が必要だと思います。
公私のバランスの問題に対処していくことが社会で生きてゆくことですが、その意味で、娘のクラスがCOMPANYという合言葉でこれから一年間を過ごすことは非常に良いことだと思います。
親としては、どうすべきか。
明確に儲けられることがわかっていてもその儲け方に美学がなければあえてその儲けを求めない、という公私感覚のIntegrity(利害対立に一貫性のある姿勢を維持し具体的行動を取る高潔さ・品格という意味でしょうか)の重要性を忘れずに、うまい話の誘惑に打ち勝つ努力を親としてもしていかなければ、と思うのであります。うまい話に自分は弱いのだ、という自覚を持って、この話に乗るのはCoolなことか、を自問し、他人がその話に乗っても敢えて乗らないOnly Oneになる勇気を持つようにしようと決意をするのであります。プロフェッショナルとは「公共に資する使命感を持って、自分の知識や技術を使って仕事を行う人」であるという定義が茂木健一郎氏の書いた本にありましたが、COMPANY精神発揮には、そこに集う真のプロフェッショナルを目指すことが不可欠、ということでしょうか。やはり、COMPANYには真のプロフェッショナルが必要なのでしょう。
下品な儲け話が成立するのは突き詰めると需要が下品だからということですが、この意味からすると、需要・消費にも真のプロ意識あるいは美学が必要なのでしょう。といっても、食べるなといわれたりんごをかじってしまうように、人間そう美しくはなれない弱い存在です。精神論ではなく、どのようにしたら真のプロフェッショナルが増えるのか、というテーマの下、マナー向上委員会とルール制定検討委員会を創設する必要があると考えます。まずは、株主の信認義務のあり方を念頭に置いた、これら2つの委員会設置に向けて議論を高めていきたいと思います。
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以前誰かが(ごめんなさい。失念しました)、「世の中、本当は、ルールじゃなくて、マナーでいければ、ベストなんですよ。」ということを言っていました。
でも、モラルの低下により、マナーをルールにせざるをえないようなものが、たくさんあり、実際、ルールになったものもありますね。
ルール制定と同時にマナー向上(モラル向上)は、両立して、やっていかなければならないことですね。
おっしゃるとおり、ルールじゃなくてマナーでいければベストですよね。でも、このグローバル化が進んだ時代に、それを望むのは無理でしょうね。
結局、どうバランスをとるか、ということですが、バランスをとる際に重要なことの一つは、社会にプロを育てることにつながるかどうか、ではないでしょうか。ルールがすぎれば、マニュアル依存になり、人間は自分の頭で考えなくなり、結局、成長しなくなるからです。コンプライアンスと言い過ぎて、減点主義が増長され、誰もチャレンジしなくなる、という閉塞状態に人間も企業も陥ってしまうのです。悩ましいですね。