父の急死から長い長い1週間

優利加さん
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父が2月14日に急死してから長い一週間でした。14日のバレンタインデーのお昼少し前に心肺停止状態で救急搬送されたとの電話がありました。私は父の運ばれた病院まで1時間ほど急ぎ車を走らせましたが、私が駆けつけるとすぐにに死亡が宣告されました。

父の自宅まで遺体を引き取ると、悲しむ間もなく親戚が集まってきて葬儀の話に入り、誰を呼び、通夜菓子や香典返しをいくつ注文するか、仕出しは何人分頼むか、枕花は誰の名前で注文するか、花輪は、祭壇はいくらのものにするか、霊きゅう車はいくらのものにするか、死亡届は誰が出しに行くか、火葬場の窯は確保したか・・・と儀式のためにうんざりするような話し合いが待っていました。

15日は通夜で親戚や父の家の隣近所、同級生などが参列してくれました。父の同級生のほとんどはまだ元気でした。私は喪主あいさつの途中で悲しみがこみ上げ、言葉にならない嗚咽となり人前で涙してしまいました。その夜は家族全員がセレモニーホールに泊まり父の棺の前で寝ましたが、私は14日に続きこの日も一睡も眠れませんでした。翌日の16日は午前中に告別式、午後は火葬&骨拾い、初七日法要、親戚への食事の振る舞いと続きました。告別式の喪主挨拶では泣かずに挨拶ができました。

16日夜に名古屋へ戻り17日は第41期売買ルール構築勉強会の前半を実施、18日から20日まで再び父の実家へ戻り役所へ行き諸々の手続きを済ませてきました。父の原謄本はすぐに発行してもらえましたが、除籍謄本が1週間経たないと発行できないということで、来週月曜日と火曜日にまた父の実家へ戻り、銀行関係の相続の手続きをする予定です。不動産の相続は夏くらいまでに終わらせればよいと思っています。

父の急死から長い長い1週間でした。火葬して骨だけとなった父をみても未だに父が亡くなったということが実感できていません。この2年ほどはほぼ毎晩父に電話していたので、つい電話機の前に立ち止まって電話機を見つめています。電話をかけるといつものように父が電話に出てくれるような気がして。

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