これが、非日常の出来事だと思えばよいが、それにしても、少々自分にうんざりしている。先ほど、15時まで、昨年の30日から、今日、2日までの日記を点検してみた。ここ、日記は10年くらい、高橋の手帳に何時から何時まで、何をした程度のメモをつけている。
28日の夜から、娘と婿と孫の4人が来ていて、今日14時ごろ帰った。この間、孫と遊んでいる時間のためか、それより、他のことに夢中になって日記をつけるのが、おろそかになってしまった。いろいろ言い訳はあるが、それにしても、一つのことでも続けることは難しい。今日も、ぼちぼち、暮れようとしている。時間管理というか、時間運営というか、走馬灯のように過ぎ去る時間をどう設計し、実行するかを改めて考えてみる。
娘婿はパチンコ三昧だった。それなりに生きているので、何も言わない事にしている。ただ少し、依存症の心配はある。その分、孫の世話が、じい様、ばあ様にきたのである。娘はこの間、何をしていただろうか。歯医者と、買い物、家でのジグソーパズル、ネットでの遊びだろうか。これも情無いが、まあ、いいや。
さあ、子供が帰ったので、日常の生活が始まる。そう言えば、世間では、明日から仕事始めである。非日常が日常に変わるのである。1階では、女房が、子供が帰った後の片付けをしている。考えてみると、自分の時間というのが、意外に少ない。この少ない時間を無駄にはしたくない。小人閑居して不全を為す(くだらない人は時間があると、くだらない事しかしない)とはよく、言ったものである。
さあ、健康第一なり、少しくらい財産や地位があると言っても、それが何になるである。前橋の空は晴れ、何時ものように、自転車で一回りしよう。
(おい、明彦よ。富と地位が高いのは面白いぞえ。)何時もの天の邪鬼君のささやき。