『ねじまき鳥クロニクル』を書きあげたあと、
どうしてだかわからないけど、
「そろそろ日本へ帰らなくちゃなあ」と思ったんです。
最後はほんとうに帰りたくなりました。
とくに何かが懐かしいというのでもないし、
文化的な日本回帰というのでもないのですが、
やっぱり小説家としての自分のあるべき場所は日本なんだな、と思った。
というのは、日本語でものを書くというのは、結局、
思考システムとしては日本語なんです。
日本語自体は日本で生み出されたものだから、
日本というものと分離不可能なんですね。
そしてどう転んでも、
やはりぼくは英語で小説は、物語は書けない、
それが実感としてひしひしとわかってきた、ということですね。
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★「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」
河合隼雄・村上春樹対談 新潮文庫 490円+税 H11.1.1.初版 H23.8.30.第二十二刷
P.47~48より抜粋
「ねじまき鳥クロニクル」の全三巻、彼の小説を初めて読んでみた後、
この対談からは、その作品の書き方が概ねわかる内容になっていた。
それまでの小説における常識を打ち破ろうという思いが、強くあったという。
ノモンハンでの話と、笠原ケイという16歳の女の子が印象的だ。
彼は多くの翻訳(英語から日本語)も手がけているというので、
いつの日か英語での小説を書くのかと思っていたら、
あっさり無理だと悟ったのだという。
自分の作品を外国語に翻訳するのは、それが得意な専門翻訳家に依頼しているようだ。
桑田佳祐も、英語での活動を諦めてしまった。
村上春樹も、それがダメだというのなら、
本当にそれは難しいことなのだろう。
そうなってくると、俄然注目されるのは翻訳家の存在ではなかろうか。
先の対談本の中にも、アメリカ在住の翻訳家から、
村上の書いた日本語の意味について問い合わせの模様がいろいろ語られていた。
優れた翻訳家と懇意になっておくというのは、
芸能・執筆や特許関連ビジネスにて、今後ますます重要なことになるのだろう。
PS:今注目されている翻訳家・水野麻子女史が推薦していたかと思う、
安西徹雄氏の「英文翻訳術」という書籍をかじってみた。
翻訳という仕事は地味ではあるが、生半可なことでは成功に覚束ない職種なようだ。
水野氏のような翻訳家は今後、あっちこっちからの争奪戦になるだろう。