メリー・クリスマスは二人で過ごしたのだが、私は海外に目を向ける。
私は過去に何度も戦場のメリー・クリスマスを味わっているので両手を上げて喜べない。
私は日本に置いて人間の最終兵器の様な教育を受けて来たのだ。
若い頃は普通に勤め、事態が悪化すると私の本来の仕事が出て来て1つの企業に落ち着けなかった。
しかし、私は戦場の中でも希望の星だった。
私は自分を振り返った時に、後悔しない人生をする為に全力で世界各地を回った。
今でも思うのは私は何処から来て何処に向かおうとしているのだろう。
未来を作る為に自分は存在すると信じている。
私はどんな過酷な現場でも生き抜いて来た昭和時代に次の年号の平成を私は名づけた。
平成が24年間続いた現在だが次の年号が脳裏によぎる「今年は私の考慮の中では戦場のメリー・クリスマス」
昭和・平成・○○・・時代は残酷な物だ。
私は今年になって更に強い口調で会う友人などに言っている。
「生きる気はあるのか」と この言葉を聞くと誰もが絶句する。
最終兵器の様な教育をされた人間から言われたら何も言えなくなってしまうのだ。
